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マスコミを斬る 丸山重威のブログへ



◎選挙騒動の背景

「今なら勝てる解散」
惑隠し解散」「自己保身解散」「身勝手解散」―まだまだあるネームを背負って安倍首相による「衆院解散・総選挙」に突入した。
>「野党の準備ができないうちに」と首相は、所信表明もないまま、記者会見で国会冒頭解散を宣言、「国難突破解散」と名付けた。だが会見当日に「希望の党」結成をぶつけ、続いて前原誠治代表自身による「民進党解党」が行われた。「立憲民主党」の誕生はせめてもの「救い」だが、「改憲」と「安保法容認」の「踏み絵」付きの騒ぎは、「前原−小池タッグ」による見事な「リベラル・民進党つぶし」だった。
>「陰謀史観」という言葉がある。定義すれば、「社会や政治など歴史的な出来事について、その背景に何らかの陰謀や策謀があると考える見方」ということになろうか。いろんな事実が、仮に偶然の重なり合いであっても、それを全体として企画し、仕掛けた勢力を想定すると、その動きや組み立てがスッキリわかる。
>どこまで実証できるかどうか、わからない。しかし今回の場合、なぜこの時期に首相は解散に踏み切ったのか? 前原代表はなぜ、小池連携を探ったのか? 知事はなぜこの時期「希望の党」を創ったのか? 前原氏は、なぜ独断で「民進党合流」を打ち出し、小池氏は遅出しで「安保法容認」「改憲」の踏み絵を踏ませたのか?
>総選挙は、自民大勝、改憲勢力3分の2獲得も予想されている。もしかしたら「歴史の謎」。安倍官邸や米国に近い前原氏まで巻き込んだ「陰謀」だとしたら恐ろしい話だ。
*『ジャーナリスト』第715号(2017/10 /25日刊)より 転載


◎東京新聞攻撃

かつて「朝日・共同・TBS」という言葉があった。「戦場の村」の本多勝一(朝日)や「ハノイからの報告」の田英夫(TBS)のベトナム戦争ルポ、「黒い霧」や「沖縄水爆パトロール」報道の共同通信が「右派文化人」の「目のかたき」にされた
> 時代は移り、右派は自民党のリベラル派をつぶし、「右翼の安倍」が政権を獲得。慰安婦問題で「朝日」を、岸井から国谷まで、テレビのキャスターを入れ替え、原発、秘密法、戦争法、共謀罪と続く「壊憲法」を次々創り、いよいよ「明文改憲」に舵を切った。
昔と違うのは、政治課題に世論が敏感になり人々が動き国会前集会が開かれ、それが報じられて増幅していることだ。「ナチスに学び静かに。いつの間にか憲法が変わっているように…」という戦略には「加計」も「森友」も「豊田真由子様」も具合が悪い。そこで考えるのは「スキャンダルを探せ!」。民進党のホープはつぶせたが前次官は失敗した。
面倒なのはメディアだ。特に気になるのは、大東京の中の小新聞「東京新聞」。権威者の論考も、持って回った解説もないが、丹念に運動をフォローし、大事なことをズバッと伝える「論点明示報道」でわかりやすい。他紙からの乗り換えも多い。
「改憲戦略」が齟齬を来たす前に「東京」を「普通の新聞」にしなければ…。官房長官会見で目立つ女性記者から始め、政権と「ご用新聞」とネトウヨが、手を変え、品を変えて、東京攻撃を始めた。これはメディア全体への攻撃である。断固反撃しなければならない。
*『ジャーナリスト』第714号(2017/9 /25日刊)より 転載


◎折り鶴

 核兵器禁止条約を論議する国連の日本政府の席に置かれた、「#wish you were here」と翼に書かれた折り鶴。「もしあなたがここにいれば」と報じられたが、実は70年代、ピンク・フロイドのアルバムで知られた有名な言葉…。アルバムの翻訳は「あなたがここにいてほしい」だ。
7月7日国連加盟国の3分の2に当たる122カ国の賛成で採択された核兵器禁止条約に日本は交渉にも参加せず、わざわざ「今後も参加することはない」と声明。安倍首相は広島、長崎の追悼式でも条約には一言も触れなかった。
「核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも拘わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません」―。長崎平和宣言の言葉は既に国際世論だ。
国際法でも「非人道的兵器」と断罪された核兵器にしがみつく「戦争被爆国」は、単なる「米国追従」を超えた民族的恥辱だ。15日の政府主催全国戦没者追悼式でも首相はアジア諸国への「加害への反省」には触れず、「哀悼の意」もなし。「深い反省」を言葉にしたのは天皇だった。
稲田朋美防衛相を外した政権は、「森友」の佐川宣寿理財局長を国税庁長官、首相夫人付の谷査恵子氏をイタリア大使館一等書記官に出して疑惑隠し。萩生田光一官房副長官は党の幹事長代行にして、改憲推進本部にも睨みを利かす。
こんな政治が許されるはずはない。問題はいつ政権を「野垂れ死に」させられるか、だ。

*『ジャーナリスト』第713号(2017/8 /25日刊)より 転載


◎安倍にNO!

 7月9日、東京・新宿をはじめ、大阪、愛知、福岡、北海道、和歌山、愛媛など全国で「安倍はやめろ」の集会が開かれ、デモ、集会、スタンディングなどが展開された。
東京では、民進党、共産党、社民党、自由党の代表が異口同音に「国民の声、行動が安倍政権を追い詰めている。安倍政権を必ず倒そう」と呼びかけ、「安倍辞めろ」のコールがわいた。名古屋で500人、雨の大阪でも300人と報道されている。
自民党惨敗の都議選を受けて、世論もようやく動き出した。7月の安倍内閣支持率は時事通信調査で29・9%、不支持率は48・6%、初めて3割を切った。ほかにもNHKで支持31・9%、不支持49・2%、朝日では支持33%、不支持47%、読売は支持36%、不支持52%だ
政権にとって深刻なのは、「首相を信頼できない」が急増していること。時事の調査では、前月比6・2ポイント増の18・8%になった、という。さすがに首相も、閉会中審議の予算委に応じなければならなくなった。
なぜこんなことになったのか。それはいま、政権が政治の本質を忘れ「自分は何のために、誰のために仕事をしているか」を忘れて自分本位の言動を続けているからだ。「THISイズ敗因」の豊田真由子議員、萩生田光一副長官、稲田朋美防衛相、下村博文幹事長代行も、みんな同じだ。
要はここで国民の側が、確信をもって対抗策を示し、日本の未来を拓く力を作ることだ。権力欲のために行政から憲法まで壊そうとする安倍政権に、はっきり「ノー」を届けよう
*『ジャーナリスト』第712号(2017/7 /25日刊)より 転載



◎記者会見

「文科省の前川前次官が出会い系バーに行ったことを杉田官房副長官に注意されたそうだが、副長官はなぜそれを把握できたのか。各省庁の次官は退庁後も行動確認をしているのか」「読売新聞もこの件を取材したが、関連性があるのか。副長官に確認してほしい」「文科省の加計学園関係の文書が確認できないと言うが、公文書管理はどうなっているのか」「出所が明らかでない文書は、存否も調べないとのことだが、個人が名乗り出れば調べるのか」―。
6月8日の官房長官記者会見。ある女性記者が次々と問題を突きつけた。ごく当たり前の質問。だが菅義偉官房長官は「答える立場にない」「文科省で適切に対応している」「仮定の質問には答えられない」と、まともに答えず、はぐらかすだけだった。
これまで、なぜか馴れ合いのような感じが多かった官房長官会見での久しぶりのやりとり。テレビ各社もキャリーしたから、それを聞いて、胸がすく思いの人も少なくなかっただろう。当たり前の質問が「よくやった」と見える時代。そこにも問題がある。
つまり、問題は質問者は官邸詰め記者ではなく、T紙の加計取材チームの社会部M記者だった。まともに答えない官房長官は、終了後首相執務室に駆け込み、「週刊新潮」によると「彼女の身辺調査を命じた」という。前川氏同様、人身攻撃をしようとするのか。ネトウヨが騒ぎ、中傷メールも来たが、社には激励のメールや手紙がその何倍も来たという。
記者を守るのは読者。真実の報道のため頑張るあなたを、私たちも守る。
*『ジャーナリスト』第711号(2017/6 /25日刊)より 転載


◎消費されるニュース  トランプ米大統領の正式就任は1月20日。安倍首相との会談は2月10日だった。共謀罪で追及され、しどろもどろの金田勝年法相が「議論は法案提出後に」と文書を出したのが2月7日、3月21日法案提出、金田法相不信任案は5月18日否決された。 森友問題で首相が「認可や払い下げに私や
妻が関与していれば辞任する」と答えたのは2月17日、3月23日の籠池証人喚問で昭恵夫人の100万円寄付問題が出た。北朝鮮のミサイル4発の発射実験が3月6日。米国のシリア攻撃はトランプ・習近平会談中の4月6日。北朝鮮の軍事パレードは同15日。
原発事故から丸6年、「国にも東電同様の責任」とした前橋地裁判決は3月17日、今村雅弘復興相の「帰還は自己責任」発言が4月4日、「東北でよかった」発言で同25日辞任。5月に入ると「安倍9条改憲発言」…。ほかにPKO問題や、東京では築地・豊洲問題も続いている。
これだけ問題が山積し続いているのに、誰も責任は取らない。その意味も解明されないまま、その後どうなっているかも分からず過ぎていく。ニュースは「消費」され、問題は膨らんだまま時は流れる。一体これでいいのか?。
想田和弘さんが「ニュースの循環サイクルはあまりにも短い」「警戒しなければならないのは…『遅さ』ではなく『速さ』なのだ」(朝日5月17日夕刊)と書く。20年前、原寿雄さんが「情報栄えてジャーナリズム滅ぶ、そうさせてはならない」と書いた。いま、ジャーナリズムの課題は一層深まっている。
*『ジャーナリスト』第709号(2017/4 /25日刊)より 転載


◎ウソと歴史

 「いまさら言えない」―南スーダンPKO部隊の日報問題で、「司令部のコンピュータに残されているのではないか」と指摘された自衛隊が、データを「廃棄」した理由が、これだったという。小さなウソが大問題に発展したケース、と言えば当たり前のようだが、日報問題の経過をみると、やっぱり「歴史の中にいる自覚」と「本当のことを見抜く目」が欠けていた、と思わずにはいられない。
まず、情報開示請求にどう答えるか。そのまま出すと「戦闘」の存在が明らかになり「PKO5原則」に触れる。頬被りして11月15日「駆け付け警護」を閣議決定し、開示要求には12月まで伸ばし「破棄した」と答えた。日報はファイルになっているから実物は破棄したで構わない、とウソをついた。「重要な記録。破棄するのはおかしくないか」となぜ思わなかったのか。
さすがに問題になり「探せ」と言われ「他の部署にあった」と出したが、2月14日、国会で笠井亮議員に「陸自研究本部のデータベースにあるのではないか」と追及され、慌てて「破棄」して「ありません」と答えた。それもバレて、今度は大臣による「特別防衛監察」…。誰かの話が本当かウソか、ウソには、「おかしいな」「違うんじゃない?」と疑問を持たなかったら、大臣の資格はない。裁判での「不知」では済まされない。
そもそも歴史的記録だ。考えてみよう。捨ててしまっていいはずはない。いまでも、誰かが、どこかに隠して持っている、と信じたい。かつての戦争の記録は、そうやって残ったのだ。
*『ジャーナリスト』第708号(2017/3 /25日刊)より 転載



◎ウソということ

 「日報では、一般的な辞書的な意味で『戦闘』という言葉を使われたと推測している」「憲法9条上の問題になる言葉を使うべきではない、と言うことから、私は『武力衝突』という言葉を使っている」(稲田防衛相)「こういう議論にも発展したので、『戦闘』というのは、そういう意味を持っていると言うことを現地部隊に認識させた」(河野克俊統幕長)。
「廃棄した」という自衛隊の南スーダン派遣部隊の日報は、やっぱりあった、と認めたものの、そこにあった「戦闘」という言葉をめぐっての答弁だ。どうやら「ドンパチ」はあったらしいが、何だったのか。戦車と重火器での「衝突」らしいから、「戦闘」以外の何ものでもないのだが、こんなウソが罷り通っているのが安倍政治だ。
それだけではない。大きな反対運動が起きた「戦争法」は11の法律を変える「平和安全法制整備法」だったしいま問題の「共謀罪」は「組織的犯罪手段にかかる実行準備行為を伴う犯罪遂行の計画罪」というそうだ。大学を巻き込む防衛省の「軍事研究」奨励は「安全保障技術研究推進制度」、「防衛装備移転」は「武器輸出」のこと。
問題はウソの言葉で真実、事実が隠され、わからなくなってしまうことだ。「玉砕」も「転進」もそうだった。「支那軍の満鉄線爆破」は、謀略だったが、それ以前に「戦闘」を「戦争」と認めず「事変」とした。日本も「不戦条約」を批准していたからだ。
「『戦闘行為』や『戦闘』は憲法に抵触するから、『衝突』とした」―この話、80年前とそっくり一緒だ 。
*『ジャーナリスト』第707号(2017/2/25日刊)より 転載



◎トランプスキャンダル?

 ソ連(ロシア)や北朝鮮の取材をするときには「ホテルでもハメを外すな。全部見られていると思った方がいい」とよく言われた。「『旅の恥は掻き捨て』は成り立たない。相手に弱みを見せるな」という話だが、「ビジネス界の帝王」にそんな警戒感はなかったのだろうか。
問題になったのは、@トランプ氏側近がプラハでロシア側と外交と安全保障の極秘事前交渉を重ねていたAトランプ氏はモスクワのリッツ・カールトンホテルで複数の売春婦を招き入れて性的プレーをさせた―などが把握され、記録された、という文書。トランプ米大統領の就任前の記者会見直前、インターネットサイト「バズフィード」が全文を報じ、CNNも要約を伝えた。
クリストファー・スティールという英国MI6の元機関員が作成し、国家情報局、FBI、CIA、NSAの長官4人がオバマ大統領とトランプ次期大統領に「ロシアは知っている」と報告した、という話は、疑惑を感じさせるのには十分だ。だが、トランプ氏は全面否定。「CNNは偽を流す」と質問もさせなかった。真偽は依然ナゾだが、高官4人が信じた元スパイの情報はウソと決めつけられるものでもない。既に事態はその中で動いている。
A国の王様がB国に弱みを握られ悩み続けるが、その飾らない善意が、建前で構えていた双方に対立のばからしさを教え、両国は平和になった…、というなら「おとぎ話」。だが、この核時代、そんなことがあるのかもしれないし、そうあってほしいと思ったりするのは私だけなのだろうか。

< div align=right>*『ジャーナリスト』第706号(2017/1/25日刊)より転載


◎ニュースの真実

2016年は、政治が「メディア化」し、メディア世界では、マスメディアより、ネットのSNSが幅を利かせ、「ニュースの真実」が問われた年だった。
英国では「EUに莫大な金を払っている」というウソが、EU脱退国民投票に響いた。「事実より感情や信念に訴える方が影響力を持つ状況」を「ポスト・トゥルース」(post-truth=真実以後)と呼び、オックスフォード大は「今年の言葉」に選んだ。米大統領選では、既成の新聞・放送よりネットが信じられ、「フェイクニュース」(fake-news=偽ニュース)が広がった。「ISを作ったのはオバマ」などというデマは、少なからず、トランプ大統領当選に影響した。
日本も同じだ。「衝突はあるが戦闘ではない」と危険な外地に若者を出す防衛大臣、「考えたこともない」と言いながら与党は「強行採決」を繰り返した。反対派住民を「土人」と呼んでも、「差別ではない」と考える内閣、議場で般若心経を唱える「審議」でカジノ解禁を強行する議員…、それらを追及しきれないマスメディアがある。
そして何より選挙を視野に、演じられているのが「安倍国際劇場」。地元プーチン大統領を呼び首脳会談、米政府が止めるのに、就任前のトランプ氏に会ってゴマをする。米国の不興に「謝罪ではない」と真珠湾訪問…。メディアを利用し、パフォーマンスで点数を稼ぎ、独裁化を進める戦略である。
大事なのは、何が真実か、どうあるべきかを常に問い続けること。みんながしつこく声を出すこと。それが唯一の方法である。
*『ジャーナリスト』第705号(2016/12/25日刊)より 転載



◎乱暴な言葉

 「南スーダン情勢は衝突はあるが戦闘はない」という話を聞いたばかりだと思ったら、「TPP採決には野党も加わっており強行採決ではない」という話が出てきた。警察の機動隊員が沖縄県民に投げつけた「土人」「シナ人」も「差別用語とは断定できない」という話もある。
「原発事故の放射能は完全にコントロールされている」という大ウソ以来、「言論の府」である国会まで、でたらめな言葉で席巻され、それが人口に膾炙されて、問題は大きくされないまま、いつの間にか「既成事実」になっていく。「ウソも百回言えば真実になる」と言ったのはゲッペルスだそうだが、いま安倍政権は、それを地で行っている。
問題なのは、「言論の府」の国会が、「ウソ」と「真実隠し」を、結局全部許してしまっていることだ。「ウソ」だけではない。稲田朋美防衛相の南スーダン視察を機に出された「現地状況報告」はタイトルを除き全部黒塗りで公開された。年金改革法案では、3割カットの年金切り下げをグラフで見せたパネルが公開を拒否された。野党委員が問題にしても政府・与党は頬被り。しかもこれは初めてのことではない。
大事なことは知らされないまま「乱暴な言葉」や「極端な言葉」「感情的な言葉」が、そのひどさに注目を集め、ものを深く考えることをさせなくする。マスメディアはこれを拡大し拡散して、社会そのものまで粗野にする。問題すら明らかにできない国会はそもそもいらなくなってしまう。
いま、国民一人ひとり、じっくり考えるときだと思う。
*『ジャーナリスト』第704号(2016/11/25日刊)より 転載



◎憲法25条と社会保障
「総理はアベノミクスの成果を生かし、社会保障を充実していくと言われたが、その果実はほとんどなくなっている。これでどうやって財政健全化目標と社会保障の充実を両立させるのか」―。臨時国会・参院本会議の代表質問で蓮舫民進党代表は、こう言って安倍首相を追及。衆院予算委員会で共産党の小池晃書記局長は、介護、医療など具体的な改悪計画を挙げて「負担増と給付制限のオンパレード」と追及した。
「空想的軍国主義者」安倍首相の登場以来、憲法9条や前文の平和の精神をめぐる憲法改悪が問題になっているが、同時に進んでいるのが「健康で文化的な最低限度の生活」を保障、「国は全ての生活部面で、社会福祉、社会保障と公衆衛生の向上と増進に努めなければならない」と政府の責任を明記した憲法25条の事実上の改悪だ。
しかし2012年8月の社会保障制度改革推進法で社会保障改革の基本を「自助、共助、公助とする」とした結果、次々と改悪が進んできた。いま計画されている「社会保障改革」でも、医療では「後期高齢者の窓口負担や高齢者の高額医療費の負担額引き上げ」など、介護では「軽度者の生活援助や福祉用具などの自己負担」などが上がる。
政府は口を開けば、高齢化を理由に「社会保障費の抑制」を強調する。だが、与党も野党もそれが当然のように論じるのはおかしくはないか。もともと、社会保障の責任を果たすためにこそ税金がある。それが憲法の精神だ。
無駄な出費、イージス艦だのオスプレイだのを削って財源を作ればいいのだ。

*『ジャーナリスト』第703号(2016/10/25日刊)より 転載


◎共闘の成果
 参院選で定員1人の32選挙区の勝利は、野党11、与党21の結果だった。オリンピックの狂騒と台風の迷走など、慌ただしく夏が過ぎたが、改めて確認しておきたいのは、日本の将来に向けた「野党共闘」の成果と到達点だ。
「戦争法は廃止! 野党は共闘!」の声で共闘が語られ、「一点共闘」が広がり、15法案が共同提案された。新しく生まれた「市民連合」の政策要望書は、野党各党が一致し、「共闘」が具体化した。各県で当然違いはあるが、@戦争法廃止、閣議決定撤回A立憲主義の回復、個人の尊厳を擁護する政治B安倍政権下での憲法改悪阻止、安倍政権打倒―。これに、「TPP反対」が入ったりするが、これが軸でまとまれた。
だが、多くの選挙区で問題だったのは「原発」などの政策ではなく、それ以前の「共産党とは一緒にやれない」という問題だったように思う。「一緒にならなければ勝てない」と分かっていても、古くからの「反共主義」と「不信感」。どうしたらいいのか…。
その意味で民進・共産による香川での確認は、今後の重要な足掛かりだ。@社会主義的変革でなく資本主義の枠内での民主的改革A日米安保廃棄や自衛隊解消は共闘に持ち込まないB天皇制を含めた現行憲法の全条項を守るC議会制民主主義、議院内閣制を守る―など。結局、現在の情勢への危機感と共闘の重要性の認識で決まってくる
かつて、社会民主党と共産党が一緒に闘えなかったことが、ナチス政権への道を開いた。いま「安倍暴走」を止めるのは「共闘」しかない。

*『ジャーナリスト』第702号(2016/9/25日刊)より 転載


◎シールズ解散
 「戦争法案! 絶対反対!」「解釈改憲! 絶対反対!」から、「民主主義って何だ! これだ!」に発展し、「戦争させない! 野党は共闘!」へ…。昨年5月3日の憲法記念日に生まれた「SEALDS」(シールズ)が、8月15日解散した。もともと「参院選まで」と決めてあった「緊急行動」。
 解散を発表する若者たちは、あくまでしなやかで、爽やかだった。
「「脱原発」から始まり、秘密保護法、集団的自衛権容認、安保法案の強行と安倍内閣の改憲路線が続く中で、シールズの運動は、新しい境地を開いている。リズムに乗ったコール、コンビニのネットプリントで広げるプラカードなどの宣伝スタイル、政党を市民が結ぶ共闘のスタイルも定着。そして何より日常の自分の言葉で、政治を語る率直さが人々の心を捉えた。
「解散メッセージで言う。「終わったというのならまた始めましょう。始めるのは私でありあなたです。何度でも反復しましょう。人類の多年にわたる自由獲得の努力から学びながら。孤独に思考し、判断し、ともに行動し、そして戦後100年を迎え祝いの鐘を鳴らしましょう」―。「緊急行動は終わった。だが未完のプロジェクトは続けなければならない」とも。
「戦後100年というと、あと30年。彼らが見据えているのは自分たちが中年になった頃の日本だ。「学者の会」は「それぞれの活動の場に移っていくあなたたちに、心からリスペクトを送ります」と声明した。「終わりの日が始まりの日」。シールズに学んで、たゆまず、進もう。
*『ジャーナリスト』第701号(2016/8/25日刊)より 転載


◎76歳の決断
「参院選の結果を見て憲法改正が射程に入ってきているとわかった。戦後70年、いま国政が流れを変え始めている。戦争を知る最後の世代としてその流れを元に戻す力になり、東京都から発信できればと思う」―東京都知事に野党4党の統一候補として立候補した鳥越俊太郎氏の言葉だ。「アウトサイダーからインサイダーになることに葛藤はあった。知事になってもその姿勢を忘れずにいたい」「私は民主主義の第一期生。残りの人生を東京に捧げたい」とも。ジャーナリストが取材の中で「こうあればいいのに…」「いっそインサイダーになろうか」と考えることは少なくない。これまでも名前を挙げられながら固辞してきた鳥越さんを決断させたのはまさに憲法の危機と戦争への足音だ。「戦争のためにペンを取らないのは当たり前。でも、それだけでいいのか…」そんな思いが彼を突き動かしたのではなかったか。76歳の勇気。
一方昨年来の安保法反対の国民の声とそこで生まれた4野党の共闘もあった。統一を求める市民の声に準備をしてきた宇都宮健児氏は「市民運動にも深刻な対立が生まれかねない」と立候補を取りやめた。
中曽根首相が「日本は不沈空母」と語った83年、都知事選の革新候補も元毎日のジャーナリスト、松岡英夫氏だった。集会で小森香子さんが自作の詩を朗読した。「忍び寄る核戦争とファシズムに痛打を与えようと東京の心はいま燃え上がる」―。
そのときは勝てなかった。だが、今度は勝って東京と日本を変えたい。さあ、都政に正義と真実を!

*『ジャーナリスト』第700号(2016/7/25日刊)より 転載


◎改憲参院選

 昨年3月の「ジャーナリスト」に、「自民、明文改憲に予定表!?」の見出しで小さな記事が載っている。
自民党が14年暮れの総選挙後初の憲法改正推進本部の会合を開き、「来年夏の参院選後に、改憲発議を目指し最初緊急事態条項夜間環境権などで改正の前例を作り、その後、九条改正などを目指す『2段階』戦略で進める方針を決めた」というもの。自民党はこの会合で、18歳選挙権の公選法改正も決めている。
この後、安倍首相は米国を訪問して議会演説で大見得を切り、自公協議で、公明党を納得させて、安保関連法案を国会提出、国会を取り囲んだ反対の声の中で、安保法を成立させた。そしてサミットまで使ってアベノミクスを宣伝、参院選に臨んでいる。争点はまさに「改憲可能議席、参院3分の2」の獲得だ。
この70年の間、何度も危機があったが、護憲勢力はその都度「3分の2の壁」を守り、改憲をさせず、それが「一度も戦わない日本」を作ってきた。特措法による自衛隊のイラク派遣や、集団的自衛権容認の閣議決定による安保関連法は、その中での政権の苦し紛れの弥縫策。安倍首相が改めて明文改憲を言うのは「焦りと苛立ち、執念の産物」ともいう。
地方紙でほとんど唯一、社説で改憲論を掲げる北國新聞は、今年の憲法記念日、「改憲の機運は熟していない」と書いた。「国民投票でノーを突きつけられたら、次の機会は数十年めぐってこないかもしれない」「勝ち目の薄い勝負はできない」―。
こちらも、この戦略に負けるわけにはいかない。br>
*『ジャーナリスト』第699号(2016/6/25日刊)より 転載


◎ニュースのすり替え

 5月の政治日程の焦点は、伊勢志摩サミットだったが、オバマ大統領の広島訪問が加わって、安倍首相には格好の宣伝の場になった。「財政出動」を理由に消費増税先送りもできるし、「未来志向」の名で「日米同盟」も強調できる。
昨年の「安保法」成立以来、自公両党と安倍政権、保守派の目標は、参院選で改憲勢力が3分の2を獲得することに向けられている。「何のために?」―そんなことはいい。数を取ってから、これも言っていた、あれも言っていた、と言えばいい。自民党改憲草案で「既にお示ししてある」という。
これに反対して野党共闘が進んだ。そこで展開するのは、内部からの「かく乱」と「反共キャンペーン」。「安保法を戦争法というのはレッテル貼り」、「アベノミクスは雇用を増やし成功した」と宣伝。そこで、ダブル選、もしかしたら都知事選も併せて、ガラガラポン?
いまの安倍政権の特徴は、官邸が全ての情報をつかみ、野党の動きや世論動向を計算に入れて首相の行動や政治日程を決め、ニュース材料を次々投げてくることだ。選挙時期、公認決定、カネの配分、全てを握った政権は、官房副長官や補佐官も増員、今世紀初め186人だった内閣官房の定員も昨年は1007人に。「官邸主導」が徹底した。メディア対策も「支配」に進め、さまざまにニュースが「操作」されている。
本当に大事なニュースは何か、このニュースにすり替えはないか。今ほど厳しく、その「目」が問われているときはない。ごまかされたままで済ませるわけにはいかない。

*『ジャーナリスト』第698号(2016/5/25日刊)より転載


◎熊本地震

 前震か本震か余震か、別の地震かわからないが4月14日午後9時過ぎからの熊本地震は、16日未明、さらに大きな地震が発生。被害は阿蘇、大分と広がった。
「別断層を刺激して誘発した」「16世紀には大分から四国、近畿にかけて中央構造線に沿った地震もあった」などという地震学者も、「火山活動にすぐ連動はしない」という火山学者も、断定できる材料はないのが現状。「受け手」はいろんな情報の中で主体的に判断するしかない。
ただ、メディア環境の変化は新たな問題も生んでいる。16日の東京新聞「こちら特報部」は「熊本の朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」というデマがツイッターに流れ、追随する書き込みが続いたと報じた。関東大震災をまねたデマだが、井戸もないのに拡散。「デマを流すな、消せ」というツイートも集まったというのは、とりあえず救いだ。
災害時にすぐ出るのは、「パニックを起こす」と情報を抑える動きだ。しかし「深刻な情報であるほど、事態は正確に国民に伝えられるべきだ。それでこそ事態の深刻さを冷静に踏まえた適切な行動を求める呼びかけが人々を動かす」という東日本大震災の際の学術会議幹事会声明はいまも真実だ。
阪神大震災で神戸新聞は社屋が壊れ、幹部も肉親を亡くした。だが京都新聞に依頼して紙面を製作。「こんな時だからこそ新聞を絶対出さなければ、と思った。読者の気持ちを落ち着かせるのは、普段通り新聞が届くことだ」―長靴姿の故荒川克郎社長の言葉を思い出す。
メディアの重要な役割である。

*『ジャーナリスト』第697号(2016/4/25日刊)より転載


◎改憲戦略

 。 安倍首相は3月13日の自民党大会で、「夏の参院選は『自民党・公明党の連立政権』対『民主党・共産党』の勢力の戦いになる」と強調。「選挙のためだったら誰とでも組む。そんな無責任な勢力に負けるわけにはいかない」と野党共闘を批判する絶叫調で挨拶したが、肝心の「憲法改憲」にはひとことも触れなかった
「憲法改正は現実的な段階に入ってきた」「私の総理としての任期中に改正を実現したい」「どの条項をどう改正するかは3分の2を得た上で、責任ある人たちの論議に委ねたい」「私たちは憲法改正の提案を既にお出しし、選挙でも訴えてきた」「国会の仕事は発議すること。それをしないのは、責任を果たしていないことになる」…。
今年に入って畳みかけて「明文改憲」に言及し始めた安倍首相だが、党大会で「改憲」をスローガンにするのは、さすがに得策でないと判断したのだろう。だが、「改憲については既に主張している。内容も明らかにしている…」と言い訳できるよう、手は打っている。
改憲の項目でも「緊急事態条項」を言ったかと思うと、「7割の憲法学者が自衛隊は憲法違反と言っている状況をなくしたい」などと言い出した。「これが焦点」と中心テーマは決めないないが改憲ムードは高めたい。それが安倍政権の戦略。その一方で、自民党の改憲草案ももう丸ごと提案した、とも言っている。
平和主義を壊し戦争するための改憲、人権より国権を強めるための改憲…。それを隠し、ただ多数を狙う。その意図を見抜いた議論を深めよう。
*『ジャーナリスト』第696号(2016/3/25日刊)より転載


◎ミサイルか衛星か

 政府もメディアも大騒ぎした「事実上のミサイル」とは一体何だったのか。
北朝鮮は「人工衛星・光明星4号の打ち上げの成功した」と発表し、米国の戦略軍統合宇宙運用センターも「2個の物体が周回軌道に乗りその1個は衛星、1つは3段目ロケットの燃え殻」と発表した。衛星打ち上げ用も弾道ミサイルも、ロケットであることには変わりがないが、ICBMには大気圏再突入時の高熱に耐える「再突入体」が必要なのだそうだが、今回のロケットにそれはなかった。
2012年のテポドン騒ぎの時も言われたことだが、そもそも軌道の放物線を描いてやってくる弾道ミサイルを迎撃するのは比較的容易だが、空中で壊れてバラバラと落ちてくる破片を迎撃ミサイルで撃ち落とすのは至難の業。なのに大騒ぎしてPAC3を全国に配備し、SMS搭載のイージス艦を派遣するなど、何のためかということになる。
「事実上の弾道ミサイル」でなく、「たとえ平和目的でも宇宙の研究・開発・利用は技術的には軍事利用能力のレベルを示す。どこの国も国際理解と協調の下で進めるべき」(世界平和アピール七人委員会の声明)というのはその通りで、安保理の非難も当然だろう。だが、外国では「ロケット」と呼ばれているものを「事実上のミサイル」と呼び、その後、「衛星打ち上げロケット」だとわかっても、それをほとんど報じず、誤りを既成事実にする日本のメディアの責任は大きい。
NHKは「日曜討論」を中断までして報道したし、米国機関の発表は、朝日は外報面ベタで扱い、読売は「衛星」を「搭載物」としか報じなかった。改めて政府の発表を質し、「事実に基づく報道」に帰るべきではないだろうか。ついでに書くと、前回12年の場合も衛星で、米国の北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)も確認した。
この年の秋、私は北朝鮮を訪れた。案内人たちは「あ、衛星…」と夜空の軌道を動く物体を指さした。彼らにとって衛星が「希望の星」であることは確かだった。どの国も「敵視」で平和は作れない。必要なのは「事実」からの相互理解である。
*『ジャーナリスト』第673号(2016/2/25日刊)より転載


◎制裁と説得

1941年7月28日、日本軍は7月2日の御前会議決定の方針に基づいて南部仏印に進駐した。この動きを批判していた各国は、25日米国が、26日には英国、27日にはオランダも日本資産を凍結、28日には日蘭石油協定が凍結され、8月1日には石油の全面禁輸を決定した。
日本の行動は対中全面戦争4年、蒋介石軍を助ける補給路を断ち、資源確保が目的で、世界からの批判に日本は耳を傾けなかった。「帝国は大東亜共栄圏を建設し…支那事変処理に邁進し、自存自衛の基礎を確立するため南方進出の歩をすすめ、…」「本目的達成のため対米英戦を辞せず」という御前会議の決定は既成事実となってブレーキはかからなかった。
日中の泥沼に足を取られ、突っ走るだけの陸軍、陸に弱みを見せたくない海軍という力を背景にした軍部を、政治も、そして天皇も、互いの立場を守るだけで動かず、世界情勢も国内の情勢も知らないわけではない新聞や言論界も、結局戦争に協力した。「記憶せよ、十二月八日。この日世界の歴史あらたまる…」(村光太郎)。
北朝鮮の「水爆成功」に喜ぶ平壌の市民を見て深刻に考えるのは、民衆の情報は閉ざしたまま、指導者が独裁的に暴走している政権をどう「説得」するかだ。かつて、米国は、英、米、蘭、中、日の仏印中立化協定を提案したという。いま、朝鮮半島には六カ国会議の枠組みもある。
やっぱり、ステルス爆撃機を飛ばしたり、共同訓練を拡大する「北風」では、旅人はマントを脱がない。大事なのは民間も含めた「平和説得」だ。
*『ジャーナリスト』第673号(2016/1/25日刊)より転載


◎民衆運動の広がりと質の高さ

2015年は歴史に残る年となった。1つは言うまでもなく安倍内閣による「戦争法」の強行だが、それに負けずとも劣らないのは、この内閣の「暴力」に立ち上がった民衆の運動の広がりと質の高さだ。
60年安保闘争が、総評などの労組や全学連など組織が中心になった運動だったのと違って、年齢も職業も、みんな違う様々な層の個人が自分の意思で国会や集会場に出掛け、語り、歌い、自分の言葉で訴えかけた。「日本がデモがある社会になった」という変化は、社会の民主主義の進化だった。
「シールズ」は、その社会の代表だ。戦後まもなく、「野球少年」にとって「シールズ」は、アザラシではなく、まして後の「米軍特殊部隊名」でもなく、来日した米国の3Aの球団「サンフランシスコ・シールズ」だった。オドゥール監督が率いる「シールズ」に川上、青田らの全日本軍もきりきり舞いした。60年以上経って生まれた「シールズ」は「自由と民主主義のための学生緊急行動」。まさに、現代の申し子だ。
ついでに書くと、今度のシールズは語頭の「シ」にアクセントを置かず、それこそ「野球」のように後ろにアクセントを置く。シュプレヒコールもハイテンポで、思い詰めた悲壮さはない。授業やアルバイトで抜けるのも認め合う。といっても、いい加減ではなく真面目だ。デモは既に「日常生活」だという。
気がついてみると、ジャーナリストが街頭に出るのも当たり前になった。だが同時に、そこでジャーナリストとしての自覚と職能活動も問われている。
*『ジャーナリスト』第672号(2015/12/25日刊)より転載


◎物言えぬ社会

「『ニュース23』の岸井成格氏の『メディアとしても安保法案の廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ』という発言は、テレビ局を代表するものであり、放送法違反だ」―714日と15日、産経新聞と読売新聞に掲載された「放送法遵守を求める視聴者の会」(呼び掛け人・渡部昇一上智大名誉教授ら)の全面意見広告は、いよいよ「言論に対するテロ」の時代が始まったか、と感じさせる。
テレビのニュース番組で意見表明することを「違法な発言」として糾弾する。「違法な報道を見逃せません」と大見出し、「私たちの『知る権利』はどこへ?」と世論喚起を図る。広告では総務省に「全体から見てバランスがとれているか判断することが大切」という総務大臣見解の見直しを要求。ネットでは公開質問状で、局や岸井氏個人の回答も求めている。
一方で、議員会館の集会に参加する市民のバッグに「アベ政治を許さない」のステッカーがついていたら、「外せ」と強要されたという。「なぜですか?」と聞いてもまともに答えられない。学者の会とシールズが共催した集会は「学問に無関係」と立教大学が会場使用を断った。練馬区は主催団体に地元の九条の会が入っていたとして映画会の「後援」を拒否した。
じわじわと狭められる言論の自由。進む物言えぬ社会…。攻撃は当たり前の発言への個人攻撃まで進んだ。そしてその先兵に読売、産経が立っている。「表現の自由を攻撃する表現」は「表現の自由」ではない。読売、産経に「表現の自由」を語る資格はない。
*『ジャーナリスト』第671号(2015/11/25日刊)より転載


◎「戦争法」一カ月

戦争法が成立して1カ月余。安倍首相は「アベノミクスは第2段階。参院選では改憲がテーマ。一億総活躍社会を作る」と宣言。全員「日本会議」の右派総結集で内閣を作ったが、デモと追及を恐れ憲法に基づく臨時国会召集も拒否。一方、運動の側は「これからが闘いだ」と、毎月19日の総掛かり行動など大小集会が目白押し。「野党協力を」の声も強まっている。
国会を逃れた首相が国連で打ち上げたのは「法改正で一層の国際貢献が可能になった。常任理事国に入れて」という大国主義。非常任理事国には当選したが、難民受け入れを聞かれると「人口問題として言えば我々は移民を受け入れる前に女性の活躍と高齢者の活躍」という恥かしい答えだった。
なぜこんなに一生懸命分からないが、米財界の「代貸し」になったTPPでは、農産物95%、工業製品100%の関税撤廃。怖いのは進出企業万能の「投資家対国家紛争解決」(ISDS)制度や、特許、保険など重要項目だが、すべて説明しないまま。ことは「日本の文化」の問題だ。
辺野古問題では翁長知事が埋め立て認可を取り消したが、防衛省は執行停止と異議を申し立てた。国の異議申し立てを別の省が審査するというあり得ない措置だ。改造人事では「うちわ」でなく「カレンダー」を配った閣僚、補助金を受けた企業、指名停止の企業からの献金を受けた閣僚各1人、昔の「下着ドロ」疑惑の閣僚も1人。
国会召集要求拒否はそのまま民主主義と立憲主義の不在を示している。やっぱり、安倍内閣は退陣しかない。
*『ジャーナリスト』第670号(2015/10/25日刊)より転載


◎「戦争法」の成立、メディアの責任

「戦争法」が成立、自衛隊は、いつでもどこへでも行き、切れ目なく活動できる法制が整った。そして一方では、動員ではなく、一人ひとり個人として考え、発言する運動が始まった。
「私たちこそがこの国の当事者、つまり主権者であること、私たちが政治について声を上げることは当たり前なのだ」「いまの反対のうねりは世代を超えたものだ」「新しい時代はもう始まっている。もう止まらない」―。参院特別委の中央公聴会でのシールズの奥田愛基君の発言だ。
こんなにはっきりし違憲の法律を、ごり押しで成立させた安倍政権への怒りは、まさに列島中を覆っている。しかし法律の廃止と閣議決定の撤回を求める運動は、容易なものではない。例えば「違憲訴訟」は、国民の精神的被害だけでは実質的な審理に入ることも難しい。結局、次の選挙で政権与党を大敗させ政権を変えるしかない。
そこで、メディアが果たす役割と責任も大きくなる。まず落選運動。続いて、しっかりした原則と柔軟で信頼を強める共闘による「選挙協力」。求められるのは、違いを強調したり不協和音を拡大するのでなく、「共同」への努力を励まし広げる報道、そして「違憲」の問題意識を鮮明にした自衛隊や政府の行動の監視と告発。秘密保護法を乗り越える積極的な報道も求められる。
どういう世論を作るかはメディアの責任だ。中国、北朝鮮への反感を煽ったり歴史の歪曲はさせない、思慮深い、落ち着いた世論を作りたい。あくまで反戦、あくまで民主主義。その覚悟が求められている。
*『ジャーナリスト』第689号(2015/9/25日刊)より転載


◎ニュースに流されるな

 政権が日々打ち出すニュースを後追いするのではなく、論点をそしゃく、反芻しながら何度でも報じたい」―昨年のJCJ大賞に続いてJCJ賞を受けた東京新聞の金井辰樹政治部長はこう決意を語った。
次から次へとニュースが出てきて、昨日の、あるいはちょっと前のニュースは忘れられてしまう。議論の隙を与えられないまま時間が過ぎる。誰かが意図的に作るニュースもあるし、予想しないとき突然新しく出てくるニュースもある。メディアに餌を与えようと権力が投げるニュースもある。メディアは常に振り回される。
今回もそうだった。7月15日安保法案衆院強行採決に続いて17日国立競技場問題白紙撤回、21日防衛白書、22日中国・東シナ海のガス田写真、8月6日、9日の原爆記念日、14日の首相談話の動向…。切れ目なく続くニュースは「自衛隊統幕が安保法案先取りの日程表を作っていた」(11日)などという国会審議さえ薄めてしまう。
こうなると、「勝った勝ったというけど実は負けていた」とか「安全は確保しているというが全くのウソ」などというのは、まだかわいいのかもしれない。「仕掛け」は大きいほど見えにくくなる。メディアが社会で一定の位置を占めている以上、出てくるニュースは無視できない。悩ましいのだ。
「法案成立と引き替えに安倍退陣」も囁かれているという。ごまかされるわけにはいかない。安倍であろうと、誰であろうと、戦争法案を認めるわけにはいかない。ことは憲法が壊され日本が戦争できる国になることだ。
*『ジャーナリスト』第688号(2015/8/25日刊)より転載


◎首相の強行

「残念ながら国民の理解が進んでいる状況ではない」―。7月15日の衆院安保特別員会。首相のこの答弁から1時間も経たない間に、審議打ち切り、採決が強行された。
16日には本会議で強行可決。17日の紙面で、産経は「安保政策新たな一歩」「日本の守り向上へ前進だ」、読売は「日本の平和確保に重要な前進」だそうだが、国民目線では、「『戦う国』衆院可決」で「憲法が泣いている」(東京)状況。
国民は納得していない」(毎日)し、「怒りと疑問にこたえよ」(朝日)だ。
何を聞いてもまともに答えず、言いたいことを長々とぶつ。異論には「間違っていない」と根拠なく否定。国会を囲むデモには「おじいさんも頑張った…」と一層張り切る。すぐ切れるのに薄ら笑い…。暖簾に腕押し、馬耳東風。感受性などどこかへ捨てた。
まさに憲法無視、法治国家を棄てた「クーデター」。ワイマール憲法下、議会で授権法を通して独裁国家を作り上げたヒトラーと同じ。麻生副総理は以前「それを学んで」とも言った。
研究会で首相の言動が話題になった。「彼は双極性障害。今は軽躁状態だと思う」と報告者の精神科医。別の医師は「むしろ発達障害だ」…。議論は「彼に問題があるのは確かだがその人物に政権を委ねたのは国民。何とかしなければ…」で一致した。
諦めるわけにはいかない。参院議員への働きかけもあるし、衆院議員には3分の2再議決をするなという説得もある。そして、ひとりひとりが考え、行動につなぐ深く持続する、歴史に耐えうる世論を作ろう。
*『ジャーナリスト』第687号(2015/7/25日刊)より転載


◎安倍独裁

 「安保法案はどう見ても憲法違反だ」―3人の憲法学者、それも、護憲運動に関わったり、法案について発言していた、いわゆる「左派」ではなく、政府寄りだと思われていた3人が揃って発言したことで大騒ぎになった。
自民党の高村正彦副総裁は「学者は条文に拘泥しすぎる」、菅義偉官房長官は「合憲と考える学者も沢山いる」と言ったが、「誰か」と言われて3人しか上げられず、「参考人の人選が問題」と憲法審査会の与党代表に八つ当たりした。
慌てたのは、政府・与党だけではない。読売新聞は6日、「昨年7月の政府見解で決着したはずの憲法問題が今、蒸し返されたことに違和感を覚える」と書いたが、「決着」させようとしたのは、そちらさんだけではないか。
前提を変えず、結論だけを「集団的自衛権行使も可能」とする論理はもともと筋が通らなかった。異論に耳を貸さず突っ走ってきた政府・与党。眉をひそめながら、これを止められなかったメディアにも責任がある。
ニュースが続いた。参考人に呼ばれた小林節・長谷部恭男両教授の会見、河野洋平元衆院議長・村山富市元首相の会見、山崎拓・亀井静香・武村正義・藤井裕久の自民党元幹部が会見…。
「なぜ急ぐのかわからない」とか「今国会は無理。出直せ」の意見も強いが、「夏までに成立させる」と米国に約束した首相は、約束を違えれば辞めなければ申し訳が立たない。何と、「9月まで延長国会」まで飛び出した。
9月は夏のうち? 昔から皇帝は暦を支配したがる。安倍独裁の最終局面だ。
*『ジャーナリスト』第686号(2015/6/25日刊)より転載


◎専守防衛

 「『相手から武力攻撃を受けたとき』には、昨年閣議決定した、『他国への武力攻撃が発生し、国の存立が脅かされ、国民の生命・財産・幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合』を含まれる」―5月12日の中谷防衛大臣の答弁だ。集団的自衛権の行使を認めるための3要件に基づくものだそうだが、政府によればこれも長年培ってきた「専守防衛」だという。
14日付東京新聞は、武力行使について、結局歯止めはないまま条文化され、昨年政府が示した自衛隊活動の15事例はすべて可能になる、と指摘した。同紙は「日本を守る武力行使であれば『何をしてもいい』と言い切る政府高官もいる」と書いている。
つまり、憲法9条と自衛隊を両立させるための「専守防衛」はそっくり変わって「日本を守る武力行使なら専守防衛の枠内」ということらしいから話は簡単だ。ロシア進出を防ぐために朝鮮に進出し、「生命線」の満州を押さえようと開拓団を出し、満州国も作った。ABCD包囲網打開には開戦しかない…という戦前の論理は、そのままあてはまる。まさに日本は「専守防衛」で侵略戦争を進めたことになる。
大体、いい加減な言葉遊びがひどすぎる。メディアはそれを、見過ごしすぎる。平和主義と全く反する「積極的平和主義」も批判せず、「平和支援」だの「平和安全法制」だのという法案や、「戦争法」発言の訂正を求めた自民党を批判もしない。それにしても、この「専守防衛」の国会答弁を東京で報じたのは東京新聞だけ。これもひどい。
*『ジャーナリスト』第686号(2015/5/25日刊)より転載


◎自民党の放送干渉

 メディアは当然権力に向かって発言する。それが、民主主義社会を支える公共財としての使命だからだ。そのメディアは常に開かれているから、当然権力側がクレームを付けてくることもある。
 読者、視聴者が批判したり応援したりするのとお同じことだ。メディアとしては、ご意見は聞き置き、必要なら反論もしたらいい。
しかし、NHKとテレビ朝日に、自民党の「情報通信戦略調査会」(川崎二郎会長)が幹部の呼び出しをかけ、両社ともそれに応じて専務や副会長が、のこのこ出掛け、ご意見を承る、というのは一体どういうことだろうか。せいぜい「ご意見があるなら、ぜひお訪ねください。いくらでもご説明はしましょう」という姿勢であるべきだろう。
安倍首相は昨年暮れのテレビ朝日の番組で紹介された街の声に文句を付け、自民党はテレビ各社に文書で「公正な報道」を要請、さらに番組のプロデューサーに個別に文書でクレームを付けた。これを国会で批判されると「私にも言論の自由がある」開き直った。断って置くが「言論の自由」は権力者に対する庶民一般、少数者の自由であり、権力者の自由ではない。
安倍首相は、自衛隊を「わが軍」と呼び、国立大学の卒業式や入学式の「君が代・日の丸」まで言い出した。単に言葉の問題ではない。政権の思想・信条の問題である。だが、メディアの報道は大きくはなかった。要はメディア自身の姿勢の問題である。
いまからでも遅くない。「出頭は間違いだった」と言うべきではないか。これを前例にしてはならない。
*『ジャーナリスト』第685号(2015/4/25日刊)より転載


◎事態のまやかし

 97年のガイドライン改定を受けた99年成立の周辺事態法では「日本の周辺地域で日本の平和や安全に重要な影響を与える事態」を「周辺事態」と名付けた。03年成立の武力攻撃事態法では「日本本土への攻撃が予測できる事態」を「武力攻撃予測事態」、実際に攻撃を受けると「武力攻撃事態」として対処することを決めた。
そして今度は、日本が攻撃を受けなくても自衛隊が出動できるよう「グレーゾーン事態」や「存立事態」、「重要影響事態」まで出てきた。自衛隊出動が国会審議をしなくてもできるように、これまでの特措法方式をやめ、海外派遣の恒久法をつくる。政府の決定で、いつでもどこへでも、自衛隊は出ていける。国連決議でなくても有志連合でもいい。「お気に召すまま」だ。
「戦争ができない国など独立国とは言えない。だから何としても、『戦争ができる国』『戦争する国』の仕組みを整えたい。しかし、『戦争』に賛成する人は極端に少ない。だから、『戦争』の状況を『事態』と言おう」―。そんなことを誰かが考えたのか。「切れ目のない防衛」とはつまり「なし崩し」だ。
「不戦条約」を29年に批准した日本は、宣戦布告なしに「戦争」はできなかった。考えた軍部は、「事変」を次々起こして戦線を拡大した。一旦踏み込むと泥沼から足を抜くことはできなかった。15年戦争は31年の「満州事変」で始まり、41年の対米英宣戦布告は破局の始まりだった。
今度は、「事変」ではなく「事態」。言葉のごまかしは許せない。これは「戦争」なのだ。
*『ジャーナリスト』第684号(2015/3/25日刊)より転載


◎イスラム国と日のあり方

 「イスラム国」(IS)問題は、実は日本の国と外交が、どの方向を向いているのか、日本国憲法が目指す世界はどんな世界かを改めて問いかけている。
言うまでもない。憲法前文は「平和を愛する諸国民の公正と信義」を信頼し、「専制と隷従、圧迫と偏狭」を除去しようとする国際社会と全世界の国民の「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ平和のうちに生存する権利を有する」と確認した。
そして、9条の「不戦・非武装」や25条の「生存権」が誕生、「戦争をしない日本の70年」が日本の信用を築き、公・民を問わず、日本人の安全を保障してきた。アラブでも憲法9条の存在が知られ、日本の「中立」が信頼を集めてきた。
だが「9・11」以降、小泉内閣のイラク戦争支持で疑われ、「積極的平和主義」「集団的自衛権行使容認論」「戦後レジームからの脱却」で公然と改憲を掲げる安倍内閣で決定的に。身代金要求を知りながら「『イスラム国』と戦う周辺国」にカネを出し企業人を連れてイスラエルでISを非難した。日本は方針を転換した、といわれても仕方がない。
どう自衛隊を強くしても法制をどう変えても、力での人質救出はまずできない。信頼なしに交渉はできないし、カネに色はついていない。後藤さんらを見殺しにした安倍内閣は、事件をテコに改憲や自衛隊派遣を企てている。
一日も早く辞めてもらい「9条に基づく外交」を再構築し、世界に向かって宣言する以外に日本が生きる道はない。「日本には9条がある」という母の訴えを裏切ったのは国民の責任だ。
*『ジャーナリスト』第683号(2015/2/25日刊)より転載


◎週刊誌テロ

「表現」に対する批判は「表現」で対抗すべきで、本来「行動」で対抗すべきではない。だから新聞社を襲って12人を殺した「シャルリー・エブド」へのテロなど、許されるものではない。しかし、そのもとになった「風刺」は、果たして「表現・言論の自由」で守られるべきなのかどうか。
「表現の自由を守れ」という、フランスの大デモを見ながら、イスラムの人々とその歴史や文化を考えると、「表現の自由」そのものが一体どこから来たものか、を考えてしまう。少数者の人間性を守ろうとで発展した「表現の自由」が「報道」の名の下に、守るべき少数者をいじめているとしたら、そこに加担はできない。
ローマ法王も「他人の信仰を侮蔑したり嘲笑したりすることはできない」と述べ、ニューヨークタイムズは「宗教的感情を故意に害する表現は一般的に掲載しない」と表明し、風刺画は転載せず、ワシントンポストは「宗教に対し明白、故意または不必要に侮辱的な表現は避ける方針だが今回はそれに当たらない」と説明して掲載した。
言論・表現は、その事実を伝えるにも引用が必要だから、議論も難しい。しかし、もともと数万部しかない雑誌が300万部になり、16カ国語に翻訳され25カ国で販売されると聞くと、ますますその感を強くする。商業化する西側の国際世論が少数者へのいじめになってはならない<。br> 朝日バッシングも在日排撃のヘイトスピーチも、両方の立場を紹介してごまかせる問題ではない。「シャルリー問題」も同じ。私たち自身の問題でもある。
*『ジャーナリスト』第682号(2015/1/25日刊)より転載


◎言論テロ

 慰安婦問題と原発・吉田調書の「誤報」問題を契機に、朝日新聞が揺れている。記事の間違いは正すのは当然だとしても問題はそれを利用して、政権に異を唱えるメディアを叩き、封じ込めようとする動きだ。関係した元記者を攻撃し、大学への就職を阻み、家族にまで嫌がらせをする。既に「朝日バッシング」を超え、安倍政権の支持の下で、右派勢力と右翼メディアによる「言論テロ」が始まっている。
「文春」「新潮」の週刊誌に加え「WILL」や「正論」も勢揃い。「文春」は判型を変え「『朝日新聞』は日本に必要か」と臨時増刊号を出した。ひどいのは同業者。読売は「朝日慰安婦報道の問題のポイント」を掲げたビラや「朝日『慰安婦』報道は何が問題なのか」と題する20nのパンフを販売店で配った。
戦争に向かう時代、思想統制の対象として目立ったのは、学者だった。美濃部達吉の「天皇機関説」を筆頭に、滝川幸辰教授の「刑法講義」や、津田左右吉の「古事記」や「日本書紀」の研究まで…。「危険思想」は共産主義や社会主義ではなく、政府に批判的な学者たちすべて、思想が問題にされた。新聞への攻撃は、桐生悠々の場合も菊竹六鼓の場合も中心は地元の在郷軍人会だった。
朝日攻撃の雑誌には、朝日の記者の名前が社長から現場まで次から次へと載っている。安倍政権は、NHKを人事で押さえ、朝日への攻撃で「政権に厳しい新聞」を萎縮させようとする。いまジャーナリストに求められるのは、「覚悟」とともに、「連帯」の思想ではないだろうか。
*『ジャーナリスト』第679号(2014/10/25日刊)より転載



  ◎朝日問題

「間違いは大したことではない…」という意見は必ずしも同意できないが、メディアに対する期待と信頼の深さには頭が下がる。ここには、間違いなく「木」でなく「森」を見て「ニュースの本質」を掴もうとする真摯な読者がいる。
2つの「吉田報道」。だが、32年前の「吉田清治氏が集会でこう語った」というのは事実だった。ただ、後に著書も書いた吉田氏の言葉を信じて繰り返したのは誤りだった。しかしこれは、朝日だけの責任ではない。他に資料もあったし、慰安婦問題は歴史的事実だ。
吉田所長調書の間違いは、情報判断と記事作成のミス。入手した特ダネ資料をどう報じるか。まず虚心に読むことが大切だが、「大きく載せたい…」とか「急がなければ」という誘惑が目を狂わせる。デスクや幹部と情報が共有されていないと、チェックしても見逃される。
ここで重要なのは、吉田証言がウソでも慰安婦を強制的に集めたことは事実あるし、吉田チームは逃げなかったが、東電が官邸に「撤退」を申し出て、誤解が生まれたのは事実だ。
NHKを意のままにし、朝日を代表とするまともなメディアを退治する。それに屈するわけにはいかない。
*『ジャーナリスト』第678号(2014/9/25日刊)より転載



   ◎何を伝えるか

   「一本の記事で大事なことをずばっと言うというのはそんなに簡単なことではない。5月16日の1面トップ「『戦地に国民』へ道」は、戦場とか戦闘とか、戦争とか、政治部だけではなく、整理部も社会部も加わって1週間位も議論した」―。「視点明示報道」で今年のJCJ大賞を受けた東京新聞の政治部デスクは懇親会でこう挨拶した。さもありなん。だから、大賞なのである。
これは法制懇報告の際の見出しだが、他の新聞を見てみると、「集団的自衛権行使へ転換」(朝日)、「集団的自衛権容認を指示」(毎日)、「集団的自衛権限定容認へ協議」(読売)とあまり代わり映えしない。「報告がありました」という事実、報告の中身。もちろん批判記事もあるが、結局、その報告書の「意義」を大きく見せることに役立っている。
この報告書を受け政府は公明との与党協議に入った。閣議決定に向けての政府・与党のパフォーマンス。閣議決定の翌日、7月2日の東京新聞トップは、「戦争の歯止めあいまい」。これに対し朝日は「9条壊す解釈改憲」と「論点明示」に近づいたが、相変わらず毎日は「集団的自衛権閣議決定」、読売は「集団的自衛権限定容認」、日経は「集団的自衛権の行使容認」だった。
編集会議では、「トップは『集団的自衛権を閣議決定』で決まりだね。左肩で論説に批判を書いてもらおうか…」とかいう技術的問題から出なかったのだろうか。問題は本記か解説かではない。「読者に何を伝えるか」―。問われているのは、ジャーナリズムである。
*『ジャーナリスト』第677号(2014/8/25日刊)より転載



◎二枚舌外遊

  「現行の憲法解釈の基本的考え方は、今回の閣議決定でも何ら変わることはありません」(1日記者会見)から「なるべく沢山のことを諸外国と共同してできるように、日本は法的基盤を一新しようとしている。法を守る秩序や地域と世界の経いをを進んでつくる一助となる国にしたい」(8日オーストラリア議会での演説)へ―。首相自身の言葉だ。
いくらなんでも支離滅裂。もともと、武力行使などできない憲法の下で、何とか「集団的自衛権」という言葉を入れたくて、「憲法上許容される武力の行使は国際法上集団的自衛権が根拠となる場合がある」と書いたが、理屈は成り立たない。だから、「外国防衛それ自体を目的とする集団的自衛権の行使は認められていない」(公明党Q&A)などという説明になる。
しかしこれは外国でのパフォーマンスとは両立しない。「さあやるぞ」と胸を張りたい。そこで本音もはっきり出る。「いま、米国は『一強』ですが、弱くなりました。その間に日本は強くなりました。こんどは『一の子分』『代貸し』として、世界の秩序のために、沢山のことをやります。平和は守るのではなく、積極的に創るのです」―そう言いたかったに違いない。
第1次大戦前、英国はアラブの独立とユダヤ人国家の建国を約束、「二枚舌外交」として有名になった。今も続く、パレスチナとイスラエルの問題だ。この約束は約2年の間隔があたが、安倍首相の「二枚舌」はわずか数日。「厚顔無恥」外交はやめ、とにかく、閣議決定は撤回した方がいい。
*『ジャーナリスト』第676号(2014/7/25日刊)より転載


◎日米開戦

昭和16年11月29日、天皇の前で元首相らによる重臣会議が開かれた。出席した重臣9人中、開戦賛成は3人だけ。他はみんな反対だった。1週間後、日本は真珠湾攻撃を決行した。「積極的国策遂行」そのものだ。
当時の記録をたどった「対米戦争開戦と官僚」(安井淳著、芙蓉書房出版)によると、対米戦争には、海軍は反対、陸軍にも反対論があった。だが海軍も「2年位は勝つが、それ以上は…」としか言わず、「方針を変えると責任が生ずる。自分の責任外のことは言わない」という官僚主義や、「陸海軍は協調を」という天皇の曖昧な姿勢の中で「旧日本の崩壊」が始まった。
肝心のこと、つまり国の方向として開戦すべきかどうか、勝てるかどうか、戦ってそれをどう収めるか、は全く議論されなかった。「弱腰」と言われたくない、メンツは大切、後は誰かが何とかするだろう、という「開戦ありき」の議論。そこには米国の主張を受け入れ、アジア進出をやめて中国から撤兵、3国同盟から脱退するなどという選択肢はなかった。
集団的自衛権の憲法解釈変更論議を見ていると、この「対米戦争開戦論議」が形を変えて行われている気がしてならない。連立離脱が怖くて、何とか妥協したい公明党、大臣になりたいし、選挙の公認もほしくて首相に逆らわない自民党議員たち…。ただ一つ、当時と違うのはそれなりに議論を伝えるメディアと容易に騙されず発言する国民がいることだ。
いま重要なのは「枝葉」ではない。問題の「根幹」をはっきり伝え、批判することだ。
*『ジャーナリスト』第675号(2014/6/25日刊)より転載


◎パフォーマンス

国賓を呼んでの首脳会談も、外国での演説や要人との会談も、そして法律に基づかない私的諮問機関の報告も、キャンペーン戦略の一つであることはよく分かっている。しかし、それにしてもひどいではないか。
安倍首相は、オバマ大統領には「バラク、バラク」と親しげに呼び、「尖閣は安保条約の範囲内」と当たり前のことを言わせた。「集団的自衛権行使への憲法解釈変更を支持してもらった」と述べたが、大統領は逆に「関係国は緊張緩和を求め、外交チャンネルを通じて話し合うべきだ」とクギを刺した。
欧州訪問では武器と原発のセールスマンになり、「憲法解釈による集団的自衛権の行使を可能にする」とぶち上げた。ご丁寧にも高村正彦自民党副総裁がナンバー3に首脳会談を、と呼びかけた直後に、「国際社会の懸念事項」と中国を名指しで批判。「公明落とし」を狙って「閣議決定に期限はない」と言ってみたり、先延ばしや限定論をチラチラさせた。
そんな中で、つい「本音」が出たのが石破茂自民党幹事長の2日の講演。「集団的自衛権の行使はスタート段階ではかなり限定されるが、必要ならそれをさらに広げることは可能だ」とし、徐々に広げていけばいいとした。
パフォーマンスで既成事実をつくり、論理的な思考も民主主義のルールも無視して突っ走る。「同盟国が戦っているとき手をこまねいていていいのか」というのは、「憲法を捨てろ」という脅迫だ。ここで、「ダメなものはダメ」と言わなければ、確実に「戦争の道」に引きずり込まれる。
*『ジャーナリスト』第674号(2014/5/25日刊)より転載


◎非戦の覚悟

 「集団的自衛権は砂川事件の最高裁判決も認めている」という、いままで聞いたことがない、歪曲した理屈で目くらましをしながら、「憲法解釈を閣議決定でやってしまい集団的自衛権の行使容認へ進もう」という改憲路線が進んでいる。
「地ならし」的な情報の小出しだが、安保法制懇の報告案が次第に明らかになり、「限定的」「必要最小限」と言いながら「我が国と密接な関係がある国」が「攻撃され場合」には行使を容認する、という内容になるらしい。「地球の裏側も排除しない」といい、憲法九条は全く無視。まさにナチスばりに、「憲法は変わらないまま安倍憲法ができた」という事態になる。
安倍政権の特徴は、どんなに反対の声が大きくても、思い込んだら一直線で、闇雲に突っ込んでいく政治手法だ。事故から3年1か月目、4月11日金曜日に決めた「原発は基幹エネルギー」とした新エネルギー方針もそれだが、「防衛装備移転3原則」と名前を変えて「武器禁輸3原則」を捨て去る決定も同じ。まさに「暖簾に腕押し」の感だ。
しかも困るのは、自民党にもあるはずの「護憲派」や「リベラル派」の声は全くと言っていいほど聞こえず、与党の公明党も「歯止め」の役を果たしていないことだ。小選挙区制も要因の一つだが、圧倒的に欠けているのは、「日本の将来に対する政治家としての自覚」だ。
「戦争はしない」「やってはいけない」だから「できない」のが、日本国憲法体制。こんな形で「戦争への道」を歩んではならない。改めて「非戦」の覚悟を。
*『ジャーナリスト』第673号(2014/4/25日刊)より転載


◎積極的平和主義

 憲法解釈の変更を閣議で決めるというのは「立憲主義」。しかも、その変更は米国の戦争に協力するための「集団的自衛権の行使容認」。秘密保護法の強行も、武器輸出の解禁も、実はそれに結びついている。
いまの憲法解釈の基礎にあるのは日本国憲法だ。自衛隊ができたので、9条と両立させるため、「専守防衛」や「海外派兵の禁止」を決め、他国の戦争に介入する「集団的自衛権」を否定した。これが根本だ
ところが、国民が気付ないうちに、憲法の考え方を変えてしまおう、という策謀がもう一つある。それは、「積極的平和主義」という言葉のまやかしだ。
元来、本来の「積極的平和主義」とは平和学で「戦争がないだけでなく、貧困、抑圧、差別などの構造的暴力がない状況」をいう言葉。「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去し」「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」という憲法前文に体現されている。「ポジティブ・ピース」だ。
ところが、安倍首相が昨年9月、米国のシンクタンクで強調した「積極的平和主義」は、「プロアクティブ・コントリビューター・トゥ・ピース」。つまり、世界で起きる問題に積極的に「貢献」し、「介入」していく、「先制攻撃」も辞さない思想だ。
首相は勝手に、「プロアクティブ」の言葉を使い何と暮れの「国家安全保障戦略」にまで「積極的平和主義」を登場させた。ここにも憲法の勝手な解釈と変更がある。戦争で平和をつくることは「積極的平和主義」ではない。
*『ジャーナリスト』第672号(2014/3/25日刊)より転載


◎解釈変更発言

 「政府の最高責任者は内閣法制局長官ではなく私だ。政府の答弁に私が責任を持ってその上で選挙で審判を受ける」「法制局の議論の積み上げのままで行くなら、安保法制懇を作る必要はない」―集団的自衛権の憲法解釈変更について、2月12日の衆院予算委員会で安倍首相はこう言い放った。
産経新聞が「目立つのは首相の強気」と書くように、安倍首相の解釈改憲による「戦後レジームからの脱却」が急ピッチに進んでいる。予算が成立すれば、@安保法制懇報告A首相の国会答弁B閣議決定C国家安全保障基本法案―と一気に加速しそう。まさにワイマール憲法下で、ヒトラーが「授権法」で独裁政治を進めていったのと同じだ。
さすがに野党だけでなく、自民党内でも「選挙に勝てば憲法を拡大解釈できると言うことになれば三権分立を根底から崩す」(村上誠一郎氏)などの批判が出され、公明党も疑義を示した。解釈改憲は明文改憲と違って「決め手」がないだけに厄介。それなら、と憲法否定の基本法で押し切ろうとする姿勢だ。
自民党憲法改正推進本部長の福田元氏が「解釈変更で対応できるなら憲法改正の必要はなくなる」と言ったそうだが、靖国、秘密保護法、有事立法などと併せ「行政改革」が強調された時代、中曽根首相は「行政改革でお座敷をきれいにし、立派な憲法を安置する」と言った。それが「改憲」だ。
安倍流の解釈改憲阻止のために、何をするのか? 私たちはいつでも、どこでも、書き続け、発言し続けるるしかない。「戦争する国」を止めよう!
*『ジャーナリスト』第671号
 2014/2/25日刊)より転載


◎政治報道

 「ダメなものはダメ」といったのは、社会党委員長だった土井たか子さんだった。「安倍改憲クーデター」が進む思い出すのは、この言葉だ。名護市長選での稲嶺進氏の圧勝を見て、改めてそう思った。
いつか「あの辺野古浜に全国から何万人もが座り込む。警察がそれをごぼう抜きにする。流血の惨事も起きかねない。そんなことをするのだろうか」と書いた覚えがある。政府はこの結果を見ても「知事が埋め立ての判断をし、決定している」「日米合意を粛々と進める」(菅義偉内閣官房長官)などと言うがいい加減に考え直す時期ではないか。
 特に大事なのは、前回も稲嶺氏は政府の補助金を受け取らないと明言、実践。名護市はそれで財政健全化を進め民生が向上させ再選の支えになった、ということだ。始めると止められなくなる「麻薬」を絶ち本当の地域作りを進める姿勢は、原発をはじめ、いまだに補助金頼みの自治体への「他山の石」だ。
もう一つ、政府が強調する「日米合意」も、実は米国でも「再検討を」「やめよ」という主張が強まっている。カール・レビン氏ら3上院議員が「再検討」を求めたのは2011年だし、オリバー・ストーン、チョムスキー、ジョン・ダワー氏ら著名人29人が新基地反対の声明を出した。
実は辺野古移設に固執するのは、それで潤う土木、建設など大資本と財界、それにつながる利権集団だ。その構造を暴くのはメディアの仕事。ダメなものはダメ。大事なのはその覚悟だ。その視点で都知事選も秘密法も集団的自衛権も見詰めたい。
*『ジャーナリスト 』第670号(2014/1/25日刊)
より転載


◎戦争の始まりにはせず
伝え続けたい秘密法の危なさ


 数千人とも1万人を超えるともいう群衆が国会を取り囲む 中、秘密保護法は12月6日深夜、参議院で成立した。急速に 広がった反対運動は「60年安保の再来」といわれただけに、 「成立」で「挫折」が語られるのか、と心配した。だが、国 会周辺にも、地域にもメディアにも、そんな陰は全くと言っ ていいほどなかった。
 7日には、朝日も毎日も東京も、主筆や論説主幹などが「ひるまず報道の使命を果たす」と書いた。渡辺恒雄主筆が2日 に安倍首相と懇談した読売だけが「日本にもようやく先進国 並みの機密保全法が整った」とし、孤立した。
 7日の日本ジャーナリスト会議の「12月集会」では、歴史 家の大日向純夫教授が「12・8は開戦の日ではなく敗戦の始 まりだった」と述べ、シンポジウムでは「これは安倍政権崩 壊の始まり」と議論された。12日の大集会の実行委員会でも、 「会」の継続に異論はなく、廃止法案の議論が高まった。みんな、運動に自 信を持っている...
法律はいったんできると「独り歩き」し、既成事実を創る。 治安維持法にしても、軍機保護法や国防保安法も、適用の幅 はどんどん広がり、自由な言論が奪われていった。大事なの は、ここでいっそう積極的に秘密を暴露する報道を広げ、み んなが積極的に情報提供する決意を高めることだ。
秘密保護法は「安倍改憲戦略」の一里塚。まだまだ「弾」 は出てくる。これを「戦争の始まり」にせず、「安倍退陣・憲 法の生きる日本」にするため、もう一段運動の質を高めなけ  ればならない。
*『ジャーナリスト 』第669号(2013/12/25日刊)
より転載




◎もう、廃案しかない秘密保護法

 秘密保護法問題の超党派議員団のお役人を呼ん だ勉強会でも予想されていたことだが、国会の特 別委員会での審議のニュースを見て改めて痛感す るのは、議論が議論になっておらず、少しも深まっ ていないことだ。森雅子担当大臣と官僚の答弁が 食い違うのはしょっちゅうのこと、しかも森大臣は 担当部署の情報調査室への指揮監督権限を持って おらず、法案の提出理由もまともに説明できず、 与党議員も「困惑」しているらしい。
一方では、野党を 一つでも取り込もうと、国会そっちのけの 談合を重ねて、議論ができないままのスケジュー ルによる強行をもくろんでいる。マスコミの報道 もようやく活発になってきたが、委員会審議の詳 報を載せることもなく、中にははやばやと「成立 の公算」(10月18日)と打って「見通し」決めて しまっている。国会とは、一体何なのか?
国民を主権者として 憲法に基づく政治をしようとする「立憲主義国家」 で、憲法に戦争放棄や基本的人権の尊重が決めら れている。この原則は、憲法の改正手続きを踏ん だとしても変えることはできない。憲法はその 「制定権力」である国民の意思に反する改正はで きないからで「憲法改正の限界」といわれる議論だ。
いま、安倍政権が進 めている「違憲立法」の数々は、議論を進めれば 進めるほど、この問題にぶつかる。いま提案され ている秘密保護法案が、提案者としても整理がで きないし、説明しようとしてもできないのは、 国の基本的なルールを壊そうとしているからだ。 もう、廃案しかない。
*『ジャーナリスト 』第668号(2013/11/25日刊)より転載


◎秘密保護法

有識者報告から反対運動が続いてきた「秘密保全法制」が「特定秘密保護法案」として、臨時国会の焦点に急浮上してきた。
しかし、パブコメを求めた「概要」と、与党のプロジェクトチームに出した「法案」と、内容が違っていたりするいい加減さだが、「Stop!秘密保全法共同行動」も、急遽「Stop!秘密保護法共同行動」に名前を変え、院内集会、街頭宣伝、議員要請、リーフレット配布と忙しく動いている。
与党の中からも疑問が出て、反対の動きが広がる中で、推進派は「知る権利を入れよう」「報道の自由も…」と「落としどころ」の修正を小出しにして切り崩しを図っている。国会議員への適用も決まっているが、これもどこかで外すのか? つばぜり合いの神経戦に入っている。
だが、どう適用除外を作っても、肝心の「特定秘密」とは誰がどういう基準で、どう指定するのか、その保護と違反の摘発をどうするのかは、仮に基準を作っても、それをどう決めても抽象的だ。情報公開請求の回答は、検討過程まで全部黒塗り。「何が秘密か。それは秘密」ということだ。結局、行政機関の長に「白紙委任」することになる。「この法律は治安維持法以上。国会の活動を奪う点でナチの授権法と同じ」というのも誇張ではない。
知らないうちに、戦前のような暗い時代を引き寄せてしまっていいのか。議員に働きかけよう、電話やFAXで訴えよう。いま憲法運動の正念場だ。
*『ジャーナリスト』第667号(2013/10/25日刊)より転載


◎オバマの手を縛った

 「化学兵器の使用は許せない。国際社会は黙っているわけにいかない」とシリア攻撃に前のめりだったオバマ米大統領がロシアの「化学兵器を国際管理させよう」という提案で、攻撃を回避しそうだ。
地中海に空母「ハリー・トルーマン」からトマホーク搭載の駆逐艦「ラメージ」、ミサイル駆逐艦「スタウト」、紅海にも原子力空母「ニミッツ」の打撃群など多数の部隊を展開してしまった結果、次第に引くに引けなくなる状況の下での強硬姿勢だが、計画が明らかになると、世界各地から「反対」の声が広がった。
英、独、仏、日本やインド、アメリカでもデモが起きた。潘基文国連事務総長、ローマ法王、ドイツ、オランダ、ポーランドなどが不参加を表明、英国議会は「参加」を否決した。米共和党のマケイン議員は、シリア攻撃の必要性を説くため開いた地元アリゾナ州の集会で「シリア武力行使容認決議になぜ賛成したのか」「あなたを議会に送ったのは戦争を止めるためだ」と批判を浴びた。
03年のイラク戦争では戦争前、地球一周のデモが起き、約600都市で1000万人が参加したとされたが、ブッシュ大統領は「自衛」と言って強行した。背景に「軍の展開」があった。あれから10年。国際世論を前に、もう戦争はできない時代に入った。
中国だの北朝鮮だのといって軍備強化に走る日本、「原発事故はコントロールできている」と世界中がわかるウソを言って平気な首相。国際関係でも「駆け引き」報道に終始するメディア。みんなどうかしていないか。
*『ジャーナリスト』第666号(2013/9/25日刊)より転載


◎静かなクーデター

 「参院選が終わったら集団的自衛権や9条改憲が出てくる」―安倍首相の戦略をそう読んだ識者は多かった。だが、選挙の余韻が残るうちにいきなり出てきたのが法制局長官の交代だった。
意表を突いたわけではない。防衛大綱の改正で「専守防衛」を捨てる布石は打った。次は、日銀総裁を黒田東彦氏に替えたのと同じ、憲法9条政府解釈変更派の長官にクビをすげ替える。ナチスの手口を勧める麻生副総理も、「軍法会議には死刑も」という石破幹事長も、当然ながらおとがめなし。テンポは速い。
考えてみれば憲法9条の政府解釈は、軍隊を持たないとする憲法9条と自衛隊を両立させる「積み木細工」だ。@戦争放棄のため陸海空軍その他の「戦力」は持たない。Aその「戦力」は「近代戦を遂行できる戦力」で、自衛隊はそこまで行っていないB自衛権はどの国にも誰にもあるから侵略に対抗する。だから「専守防衛」C一緒に戦争に巻き込まれるのは困るから「集団的自衛権」の行使も、海外派兵もしないし、核兵器も持たない。
ざっとこんな感じ。とても、その通りとは言えない理屈だが、実はこれが、対米従属の中でも日本が米国の戦争に参加せず、何とか平和を守ってきた論理だった。「護憲」を高らかに掲げないが、ここには「法匪」と言われながらの法律家や政治家の「良心」があった。法制局はその一つの砦だ。
「憲法改正は静かに…」と麻生さんは言った。次は安保法制懇報告、答弁の変更、安全保障基本法案…。始まった「静かなクーデター」への闘いを急ごう。
*『ジャーナリスト』第665号(2013/8/25日刊)より転載


◎参院選

 自公は合わせて70議席を超え、過半数は制した。しかし、自民、みんなの党、日本維新の会を合わせても憲法改選発議可能な3分の2獲得はできなかった。政策を問い続けた東京新聞が「改憲歯止め 原発・TPP推進」と書いた通りだ。
安倍首相は「落ち着いて安定的な状況の中で議論を深めていきたい」(東京)としながら「まずは国民投票法」と「96条改正」に意欲を見せている。読売・政治部長が「集団的自衛権」について、有識者会議の議論を8月にも再開、行使を可能にする新たな憲法解釈の検討を始める」と書いているのは、改憲問題は終わっていない、ということだ。
社説を見ると、「民意とのねじれ恐れよ」(朝日)「熱なき圧勝におごるな」(毎日)「傲らず暮らし最優先に」(東京)、そして読売も「数に傲らず着実に政策実現を」と自民党を戒めているのに、産経が「『強い国』へ躊躇せず進め」と論じているのが目立つ。「千載一遇の好機が来た」(五嶋清編集局次長兼政治部長)との主張が今後の政治を動かしかねない。
年末の総選挙ではよく見えなかったが、原発問題などを契機に若い人たちが動き出し、革新の中で若い候補が当選してきた。激しく争っていた共産党の吉良佳子(30)と無所属の山本太郎(38)の当選は、選挙戦も変わってきていることを示している。
今回も、選挙報道はやはり「政策」より「政局」に動き、投票の基準を示す「争点」より、どちらが勝つかの「焦点」が多かった。選挙報道も変わらなければならないのではないだろうか。
*『ジャーナリスト』第664号(2013/7/25日刊)より転載


◎中立とは

「侵略の定義は国際的に定まっていない。歴史の判断は歴史家に」(安倍首相)「慰安婦は日本だけでなく、いろんな軍にあった。当時は必要だった」(橋下大阪市長)―。お馴染みの発言だがまだ「擁護派」がいる。
「歴史家にはいろんな意見がある。侵略ではない戦争もある」とか、「売春は形は違うが今でもある。軍に必要だったのは本当だ。今もセックス労働者の権利を守る運動もある」という。
「どちらの発言も学問的な論議ではない。要するに侵略は認めたくない、慰安婦も認めたくない、かつての戦争は間違っていない、という正当化のための議論だ」との反論には「不適切かもしれないが、間違ったことを言ってはいない」などとも…。
違うなと思うのは、マスコミがよく使う手法だが、込み入った問題では、自分の考えを話すのは避け、両方の意見を並べ、「中立」とか「冷静」だとか考えるものの見方と思考方法だ。問題になっているのは、学問の世界の議論ではなく、「いまの社会・政治の在り方」だからだ。
そう考えると「中立」とか「客観的」とか言われるものや、メディアの扱いに、落とし穴がいっぱいあることに気づく。「橋下発言」は「4・28」や基地問題同様、沖縄や韓国、中国に限定した問題ではないし、原発事故も、福島だけのことではない。
メディアの社会的役割は、「他人事」を「自分のもの」として受け手に考えてもらうことだ。橋下さんには、自分の母や妻や娘が慰安婦になることを想像し、それを自分がどう考えるかの真摯さがほしいのだ。
*『ジャーナリスト』第663号(2013/6/25日刊)より転載


◎改憲草案

 「政府方針と異なるという理由でデモを規制するなんてあり得ない。抵抗感があるなら『平穏な社会生活』と言い換えてもよいくらいだ」―6月6日付東京新聞「検証自民党改憲草案―その先に見えるもの」で紹介された改憲案起草委員、片山さつき議員の言葉だ。
自民党案が「『公益及び公の秩序』を害する」とされると、「言論の自由」も「認められない」とされていることについて、政府の方針に抗議する官邸前の反原発デモや、路上での弾き語りも「公の秩序」に反するとされかねない、という指摘に対する回答だ。
まさに「言わずもがな」、「語るに落つ」というのはこういうことではないか。要するに「平穏な生活」に影響があるものは全部取り締まられることになる。「自民党改憲草案」とはわれわれの普通の生活に干渉し、介入し、文句を言わせず「戦争のできる国」にしようというのだ。
「○○会議」だったり、「??委員会」だったりする安倍政権のブレーン会議が次々と政策を打ち出す。よく見ると、どの政策も自民党改憲草案に基づく「ものの考え方」から出ていることが分かる。一つは、国家主義と、かつての侵略戦争の否定と正当化、もう一つは、社会の破壊をも容認するグローバリズムと市場主義の貫徹。「慰安婦」「南京」や「侵略」の否定もここから出ている。
「強欲資本主義」や「カジノ資本主義」は、戦争なしには、生き延びることはできない。ここはじっくり、為政者の「思想」を見つめ、腰を据えた異議申し立てが必要だ。「やるのは、いまです」―。
*『ジャーナリスト』第662号(2013/5/25日刊)より転載


◎主権と独立

 サンフランシスコ条約の調印、つまり1951年当時の新聞縮刷版を見て改めて驚いた。講和条約で「北海道、本州、四国、九州の4つの島とその周辺」に領土が限られ、沖縄も歯舞、色丹も切り離されたことはよく知られているが、何と当時の大手紙には「沖縄」の文字が見当たらないのだ。
もう一つ、サンフランシスコ講和会議にソ連からはグロムイコ代表が出席したが、条約は「米軍を日本に駐在させる新しい戦争のための条約。米軍は侵略者の連合組織を打ち立てようとしている」と主張して署名しなかった。しかもソ連の主張は「満州、台湾、南沙諸島などの主権を中国に、南樺太、千島と関連諸島の主権をソ連に認め、日本の主権は4島に加え、琉球、沖ノ鳥島、南鳥島に及ぶ。全外国軍隊は90日以内に撤退」というものだった。
新聞にはソ連の主張も出ている。しかし、東西対立の中で、ソ連については「講和会議の妨害を狙った出席ではないか」という見方ばかり。「全面講和か、片面講和か」といった議論は既になく、新聞の姿勢は疑うことなく「西側」の立場。その主張は、講和条約を歓迎するものばかりだった。
私たちはずっと「日本はサンフランシスコ講和条約で独立を獲得した」と教えられてきた。今から見れば偏った報道だったが、社会も政治もその通り動き、その通り教育された。「主権回復」「独立」…。そんな言葉が、本質的な意味が知られないまま「独り歩き」して61年…。
これを機会に「戦後日本の歴史」とを改めて学び直さなければならない。
*『ジャーナリスト』第661号(2013/4/25日刊)より転載


◎4・28式典

 参院選までは「タカ派色」は隠し安全運転で行くはずの安倍内閣だが、春が近づくとともに、隠したツメを見せ始めている。
施政方針演説では、改憲議論を深めることや原発再稼働、「平成の学制大改革」を打ち出し、「国家安全保障会議」にも言及。続いて、沖縄・名護漁協への辺野古埋め立て同意要請、四国山地ではオスプレイ低空飛行訓練、戦闘機部品の「武器禁輸3原則」例外扱いが出てきた。国会でも「国際的集団安全保障参加の道を開く」とか「憲法96条改正に全力」「東京裁判は勝者による断罪」とエスカレートした。
極めつきは「4月28日を『主権回復の日』とし天皇も出席して式典を開く」とした閣議決定。確かに61年前、サンフランシスコ平和条約が発効して日本は国際社会に復帰したが、この平和条約で沖縄は本土と切り離された。沖縄では「屈辱の日」で、今の沖縄の苦難はそこから始まっている。
沖縄では「沖縄切り離し平和条約」の基になった「天皇メッセージ」がよく知られている。昭和天皇側近の寺崎英成は1947年9月GHQを訪ね、「独立後も沖縄の米軍駐留を希望する」との天皇の意思を伝えた。米公文書で発見され、入江相政侍従長の日記も裏付けた。
それにしても、安倍首相は、沖縄の民意を無視し神経を逆なですることを狙う「正面突破作戦」に出たのか、認識不足による「想像力の欠如」なのか?
沖縄では反対運動が始まり、メディアも立ち上がった。だが、本土では地方紙を除き全国紙の社説は沈黙。やっぱり沖縄は日本ではないのか?
*『ジャーナリスト』第660号(2013/3/25日刊)より転載


◎アベノミクス批判

実際はそんなに目新しいものではないのに、もっともらしくカタカナで命名し、素晴らしい政策であるかのように印象づける。総選挙前、11月から新聞に登場した「アベノミクス」という言葉は、そんな意図で始まったのではないだろうか。安倍内閣で官邸入りした世耕弘成内閣官房副長官と飯島勲内閣官房参与という「メディア戦略コンビのキャッチだった可能性もある。
2%目標の物価上昇、円高是正、大幅な金融緩和、という経済政策は、景気回復の保証はないのだが、円安の進行、株価の上昇などの数字が見え始めると、あたかも大成功のように見える。内閣支持率63%、「経済政策に期待」69%(毎日新聞調査)などといわれるとなおさら。メディアもアベノミクスに踊らされている。
しかしどうか。問題は、この円安、株高、物価上昇政策で、景気が回復し、失業率が改善し、国民生活もよくなることだが、既に価格破壊で輸入品頼みの庶民からいえば、とても手放しでは喜べない。既に、ガソリン価格などが上がり、輸入品を頼りにした衣料品の扱い店や100円均一の店の経営が苦しくなっているという。あまり報じられてないが、「日本は為替の引き上げ競争を煽っている」といった見方もある。
いまの日本経済の基本的な問題は、何といっても、国内消費の落ち込み。それもそのはず、労働者の平均年収は、2001年の454万円をピークに下落。11年には409万円余。2%の物価上昇は最初に庶民生活に響く。美名にごまかされるわけにはいかないのだ。
*『ジャーナリスト』第659号(2013/2/25日刊)より転載


◎安倍批判

 「安倍首相は、朝鮮や他の地域の女性を性奴隷として使ったことを含む第二次大戦中の日本の加害に対する謝罪を書き直そうする動きを見せている」―1月3日付ニューヨークタイムズの社説。―「安倍氏の恥ずべき衝動は、北朝鮮の核兵器プログラムなど地域の重大な協力を脅かすかもしれない」―
一方、「安倍晋三首相が指名した恐ろしいほど右傾的な内閣はこの地域にとって悪い兆」と書くのは、英誌エコノミストの1月5日号。閣僚について、「13人は『伝統的価値観』への回帰を提唱、戦時中の行為について日本の『謝罪外交』を批判する国家主義的シンクタンク『日本会議』を支持。さらに9人は歴史教育で軍国主義時代を賛美するよう求める議員連盟に所属している。これらの閣僚は、第二次大戦当時の日本の残虐行為の大半を否定する」と批判した。
できるだけ世論を刺激するようなことは避け、景気回復をして参院選の勝利を目指す、というのが安倍民主党政権の基本戦略だそうだ。かといって「私の政権で改憲を」と言ったかつての夢を諦めてはいない。一歩一歩、着実に進める。例えば集団的自衛権、例えば教育改革、例えば生活保護切り下げ…。それぞれ有識者会議を作って世論形成も考える。
だが「歴史」は安倍政権のアキレス腱。アジア侵略の反省から生まれ、平和国家建設を世界に約束した日本国憲法を捨てる主張にも、世界の目は当然厳しい。もう一度、日本近現代史を読み直し、自民党が狙う憲法とは何なのか考えたい。歴史の否定は憲法の否定でもある。
*『ジャーナリスト』第658号(2013/1/25日刊)より転載


◎総選挙

 年末総選挙で自民党が圧勝した。今回の選挙でメディアは、争点の提起と問題提起ができただろうか。公示前、離合集散する「第3極」をもてはやし、競馬予想なみの情勢予測に忙しかったメディアは、明らかな争点の「憲法」を十分提示できなかった。
自民党は、正面から憲法改正を公約に掲げ、集団的自衛権の容認と国防軍を盛り込み、交戦規定整備を語った。安倍晋三総裁は、「尖閣諸島は1ミリたりとも譲らない。公務員を常駐させる」と武力衝突をも辞さない勢い。「憲法は破棄」と言い「核武装のシミュレーションを」と主張する日本維新の会の石原慎太郎代表と共鳴した。メディアは、平和憲法否定を公然と語る候補を放置し、勝利させた。
圧勝が決まった安倍総裁は、16日夜のNHKで「憲法の解釈変更」で、集団的自衛権の行使を容認すると公然と話し、改憲発議を3分の2から過半数にする「96条改正に最初に取りかかりたい」と打ち出した。「掛け値なしのタカ派」(中国中央テレビ)などと、中国、韓国が警戒するのも当然だ。
「新聞が太平洋戦争を防ぎ得なかったかを考えてみる。(中略)日本の大新聞がある早い時期に軍を中心とする国内情勢を洞察し、本当に決意して破局を防ぐことに努力したら恐らくは可能であった」―。元朝日副社長で戦後の吉田内閣の副総理緒方竹虎の言葉だ。
過去の戦争責任への反省から出発した戦後日本のマスコミに、憲法や平和問題で「中立」や「公平」は、本来あり得ない。メディアは、もう腹を決めなければならない。
*『ジャーナリスト』第657号(2012/12/25日刊)より転載


◎第三極

いよいよ世界が変わる時代に入ったのではないか―。そんなことを考えさせるのが、米国のオバマ大統領の再選、中国の習近平新総書記の登場だ。
米国の大統領選は、新自由主義と政府の責任をめぐる論戦だった。高額所得者には増税して社会保障を充実し、国内の格差をなくす、というオバマ大統領は、「小さい政府」を主張するロムニー候補に圧勝した。中国では、胡錦濤総書記が活動報告で、格差是正の必要性に率直に触れ、これからの課題に位置づけた。
日本では、石原慎太郎前知事の都政放り出しで、突然知事選になり、市民が動いて統一候補が誕生。掲げたスローガンは、「人にやさしい東京」。脱原発、反貧困、教育再生、憲法擁護の柱で、「東京から日本を変えよう」と訴えている。それに加えて、野田首相の「追い込まれ総選挙」。議論はしないで強権政治を進めようという勢力との対決だ。
要するにどこも問題は「格差」だ。新自由主義が暴走し、資本主義そのものも行き詰まって、何とかしなければならなくなった。市場原理を導入し、「特色ある社会主義」を進める中国でも格差が問題になっている。米国ではウォール街占拠のオキュパイ運動が広がったし、日本でも「60年安保」以来の大衆運動が、新しい形で始まっている。もう、「上から目線」の古い政治ではダメなのだ。あくまで「地域」から、「現実」から考える。やがて、それが国政改革にもつながるはずだ。
そうはいっても、選挙は政策や人柄を知ってもらい、名前を知ってもらうことから始まる。
*『ジャーナリスト』第656号(2012/11/25日刊)より転載


◎政治とジャーナリズム

 尖閣諸島の問題もなぜか、とりあえず静かになり、自民党、民主党の党首選が終わって、内閣改造も行われた。国交回復40年を祝うはずの中国の国慶節も、日中は「冷たい関係」のまま。全国に広がる反対の声の中、オスプレイは岩国から普天間に到着、その隙を突くように大間原発の建設が再開…。どれもこれも重大な問題ばかりだが、権力者の強権に流されるまま、ただ時が過ぎていく。
民主、自民の対決の中で、自民党はタカ派の代表、安倍新総裁を選んだ。財界は国家主義的な主張や「原発ゼロは無責任」などの発言に大喜びしたが、中国との関係悪化には「経済界に影響を及ぼしている」と懸念を表明、財界も表面に出て露骨にもの申すようになった。庶民の「官邸前行動」は続いているが、テレビからも新聞からも無視され始めた。だが、原発とその被災者たちの問題は全く片付いていない。
政治とは、一般的には国家の安定的な支配を維持するための「統治術」として理解される。簡単に言うと、「民」をどうコントロールし、「国」を維持するか、ということだろう。だから、「動く」のも政治だが、「動かない」のも政治だ。そこで、政治と「民」をつなぐジャーナリズムが重要になる。だが、権力者は、見て見ないふりをする。「暖簾に腕押し」「糠にクギ」―。
だが、ものを書いたり、話したり、映像で伝えるということは、自分らしく生きることだし闘いだ。必ずしも「効果」ではなく、読者や視聴者のために伝え、歴史のために伝える。それがジャーナリストだ。
*『ジャーナリスト』第655号(2012/10/25日刊)より転載


◎デモ報道と分断

 毎週、官邸前での行動が続いている。金曜日の「脱原発」は、東京だけでなく各地に広がり始めた。貧困問題に取り組む「このまますすむと困っちゃう人々の会」の水曜日の行動も、TPP反対を訴える「STOP TPP! 官邸前アクション」の火曜日の共同行動も続いている。
政治的な問題の集会になかなか人が集まらず、デモもなかった東京で、会を開けば予定より人が集まり、官邸前では自発的な人々が集まっている。かつてのような「動員」ではない人々の「参加」。年寄りも若者も一緒にシュプレヒコールを上げている。
だが、権力は耳を傾けるどころか、自分たちのスケジュールで計画を進める。「暖簾に腕押し」「馬耳東風」。そこへのいら立ちが、次の行動を誘っている。
問題はこうした動きが、案外、現地に届いていないことだ。「現地では問題は全く進んでいない。家に帰れるメドはないし、今後の生活の当てもない。それなのに大飯では再稼働。原発事故は風化したのか」というのは福島の声。一方で定期的に現地に入っている仲間からは、「福島へ支援に行くには、東京の動きを伝えるのに土曜日の『しんぶん赤旗』と東京新聞が必携。通信社や地元紙はどうなっているのか」とも聞いた。
毎回毎回同じように見える人々の行動を書くのはそう簡単な仕事ではない。だが、政治の動きに敏感に変化する訴えやプラカードを切り取って現地に届け全国に広めるのはジャーナリストの責任だ。現地と、東京やその他の地方との「分断」こそ「権力の戦略」である。
*『ジャーナリスト』第654号(2012/9/25日刊)より転載


  ◎ジャーナリズムが変わる

 JCJ賞に選ばれる作品や活動は、常に時代を象徴し、いまのジャーナリズムの意味を問い返している。今年とりわけそんな思いが強いのは、メディアが総体として時代に追いつけない中で、それを打ち破る作品だったからだ。
大賞の東京新聞「こちら特報部」は、発表などを追って結局それに縛られるのではなく、あくまでも自分たちの発想と感覚を基に事実を追い、真実に迫った。それが新聞全体を変え、読者の信頼を得てきている。琉球新報の「オフレコ破り」は「記者とソースの約束」という既成のオフレコ論に「読者の知る権利」という、考えてみれば当たり前だが意識されなかった新たな視点を提唱した。
白石草さんたち「アワプラ」の受賞は、まさに「オルタナティブ・メディアを無視できなくなった情勢」の現れともいえる。「NNNドキュメント12」は、最も深刻な放射性廃棄物の処理問題をネットワークを生かして提起。「ネットと愛国」は、危うい日本社会そのものを描いた。そして「横浜事件」の記録は、直面する「秘密保全法」の闘いにつながる。
柄谷行人氏が「世界」9月号で「デモで社会は変わる、なぜなら、デモをすることで、『人がデモをする社会』に変わるからだ」と書いている。デモを忘れてきた日本社会も、いま、「デモをする社会」に変わりつつある。メディアも、送り手と受け手が重なり「みんながジャーナリストになる時代」に変わりつつある。
賞を考えることは、ジャーナリズムを考えることだ。そこに変革への示唆も含まれている。
*『ジャーナリスト』第653号(2012/8/25日刊)より転載


◎官邸前行動

 まだ政権を倒してもいないし、原発再稼働を止めたわけでもないから、「革命」というのはおこがましいが「あじさい革命」というのだそうだ。金曜日の夕方の首相官邸前。どこからともなく人が集まってくる。集まったのは、6月22日は4万5千人、29日は20万人、7月6日も15万人、13日にも15万人だったという。正確な数などわからない。近くまで来て近づけなかった人も、ただ来て通りすぎた人もいる。主催者と警察の見方の違いも論争になる。
齋藤茂男さんから60年安保のデモ報道の経験を聞いたことがある。「デモもその気になってみないと毎回同じだ。じゃあ書けない書く必要はない、ということになるのか。でも違う。プラカードの内容や、参加者の声を聞く。そうすると毎回違う。情勢は毎日動いている。つまらないことのように思うけど、それをメモして記事に書き残す。それがジャーナリズムだ」。
「ジャーナリストは、歴史のデッサンを描いている」と言ったのは、ワシントンポストの編集主幹だったベン・ブラドリーだそうだが、デモ報道が書き残さなければいけないのは、単なる人数ではない。「きのうと違う今日、あすに向かう今日」だ。大事なのは、歴史をどうデッサンするか、なのだ。
6月29日は東京がカラー写真付きで一面トップだった。7月13日、東京は1面左「首相ピリピリ 強まる勢い増すダメージ」。16日の大集会に向けて坂本龍一さんの話を紹介。朝日は社会面を半分使って、大展開した。こうなれば、ジャーナリズムの競争だ。
*『ジャーナリスト』第652号(2012/7/25日刊)より転載


◎再稼働

 民主主義社会では、主権者である国民が主人公として自由に発言し、政治を動かしていく社会のことだ。この基礎には、当然、政治家が国民の声に耳を傾け、ものごとを筋道たって考え、説明する姿勢が求められる。結論がどうであれ、決定までの道筋には、論理がなければならない。こんなことを改めて言わなければならないのは、あまりにも論理抜き、あるいは論理不在の決定が多いからだ。
原発事故の原因、メカニズムは、津波なのか、地震なのかすらまだわからない。事故で暴走する原子炉を鎮めるのにどうするか、住民はどう逃げるか、その段取りも決まらない。規制の仕組みもできてはいない。なのに「再稼働」。そもそも「脱原発依存」はどこに行ったのか。こんないい加減な政府の行動と取りようもない事故の責任を「首相が責任を持つと言ってくれた」と、OKを出す地元自治体。そして首長もいい加減だ。
消費税も同じ。消費税は4年間は動かさないと約束したし、後期高齢者医療制度の廃止も、年金の改善もあるはずだ。ここで増税だけの先行は、国民生活を一層苦しくさせ、少し取り戻した景気を逆戻りさせるだけだ。何を批判されてもまともに反論せず、国会質問は問題をそらし、密室協議でごまかし「合意」。ややこしい消費税は民主党にやらせ、新自由主義・保守二大政党制に突っ走ろうという自民、公明…。これも国民を騙す仕掛けだ。
「言葉と論理」を取り戻したい。自分の頭で考えない政治家、言葉を信じなくする政治家には退場してもらうしかない。
*『ジャーナリスト』第651号(2012/6/25日刊)より転載


◎米国の影

 安倍内閣時代の2007年5月、日米の外務・防衛閣僚による2+2会合で、日米間の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)が合意された。「情報管理、政府前のめり」と新聞は書いたが、同年8月10日、麻生外相とシーファー大使の間で調印へ。
協定では、秘密取扱者を4段階のレベルで管理する米国の「セキュリティ・クリアランス」なみの秘密保護体制が求められた。政府は、内閣官房に「カウンターインテリジェンス推進会議」を設置。調印の前日、8月9日の会議で「カウンターインテリジェンス機能の強化に関する基本方針」を決めた。法律はないまま、翌年4月から、任命権者の権限で「秘密取扱者適格性確認制度」が実施された。
その後は全く問題にされなかったが、福島瑞穂議員が質問主意書を出し回答があったことで、毎日新聞がこの4月11日「公務員5万3000人を本人に無断で身辺調査」と書き、やっとこの事実が明るみに出た。
情報保全体制では、厳罰主義とともに、秘密取扱者本人だけでなく周辺を調査し、それをのぞこうとする者を厳罰に処す「適正評価制度」が問題になっている。併せて「社会保障と税の一体改革」の名目で、国会に出されている共通番号制法案も無視できない。住基ネットと違って民間にも開放し、個人の「名寄せ」を進める国民管理体制の一環。明らかな憲法違反、人権侵害だ。
政府が個人の情報を集めて管理し、一方で秘密を強化する「ものを言わせない社会づくり」がいつの間にか進んでいる。ごまかされてはならない。
*1「秘密取扱者適格性確認制度」には、複数段階の取扱い区分がある
*2『ジャーナリスト』第650号(2012/5/25日刊)より転載


◎原発と人権集会

 「この1年間の原発報道は発表ジャーナリズムの限界を示したのではないか。ドキュメンタリーは仮説の検証に始まる。これからの報道は、主体者となる取材者があって報道していく方向にはっきり移っていくべきではないか」―。福島で開かれた「『原発と人権』全国研究交流集会」の分科会での小出五郎さんの提起だ。
研究者、法律家、ジャーナリストに市民が加わり参加者は500人超。痛感したのは原発の問題は収束どころか、問題は一層深刻なこと、そして「メディアの不甲斐なさ」だった。発言者は必ずしも特にメディアを責めない。だが、随所に出てくるのは「本当に大事なことを伝えないメディア」「信頼できないメディア」だ。
かつて、権力から直接的な干渉に闘った時代、市民集会でよく言われたのは、「こんなけしからんことがあった、という圧力や干渉の『被害届』は確かに聞いた。それで一体、あなたはどう闘うのか、私たちは何をすればいいのか」という問いだった。その中で、医師や研究者とジャーナリストと法律家、文化人と結びついた運動が安保闘争を広げ、公害闘争を生み、国会秘密法を断念させた。専門家と結んだ共同行動は、JCJの責任でもある。
事故は収束せず、解決策もない。なのに政府は、論理も倫理もなく「再稼働」や「原発輸出」に走る。このおかしさは、誰でもわかることだ。JCJは「一歩前へ」と独自集会を開き、続いてもう一回り大きな集会の実行委員会に加わった。JCJへの期待は高まる一方だ。それに何とか応えたい。
*『ジャーナリスト』第649号(2012/4/25日刊)より転載


◎社会保障改革

 「今後は、給付面で、子ども・子育て支援などを中心に未来への投資という性格を強め、全世代対応型の制度としていくとともに、負担面で、年齢を問わず負担能力に応じた負担を求めていくなど制度を支える基盤を強化していく」―。2月17日閣議決定した「社会保障と税の一体改革」の大綱だ。
「社会保障を改革する」と聞けば、普通は「いまの社会保障より充実していいものにする」と考える。ところがどうやら違うのが「政府・与党」流の「改革」。「消費税増税と社会保障の削減改革」というのが正しい読み方のようだ。項目で見ると「医療・介護サービスの提供体制の効率化・重点化」は「安上がり化」、「70 歳―75 歳未満の患者負担について世代間の公平を図る観点から見直しを検討」は「負担アップ」の意味。年金の「支給開始年齢の引上げ」はごまかしようがなかったのだろう
もともと低所得者に高負担となる消費税と社会保障の考え方は逆だ。これを強引に結びつけて「一体改革」とした。財政破綻とか少子高齢化を材料に本質的な問題は抜きに、世論操作で「増税はやむを得ない」「社会保障水準低下はやむを得ない」に持って行く作戦だ。ついでに共通番号制や、議員定数削減、公務員人件費削減まで並べている。「財政」をいいながら防衛費も政党補助金も問題にせず、ただ真実を隠す言葉が並ぶ
国民の健康で文化的な最低限度の生活への責任と改善努力を国に求める憲法25条を持ち出すまでもない。この「ごまかし改革」を認めるわけにはいかない。
*『ジャーナリスト』第648号(2012/3/25日刊)より転載


◎事故原因

 「これまでの国の安全指針は、津波について十分な記載がなく、長時間の全交流電源喪失も考えなくてよいとするなど、明らかに不十分な点があった」「諸外国では次々改定されているのに、日本ではそこまでやらなくてもいい、という言い訳ばかりに時間をかけて意思決定しにくい状況にあった」
15日開かれた国会事故調の4回目の委員会で、斑目春樹原子力安全委員長はこう述べて、これまでの国の安全指針に瑕疵があったことを認め、「陳謝」した。傍聴してわかったのは、原発の安全について、国の「監督」などは骨抜きで、事故までの対策、仕組みもいい加減。当事者には、それが重大な仕事であることへの自覚も責任感も全くなかったことだ。
淡々とただ自分が理解している「事故原因」を述べた斑目氏にも、技術者でないことを理由に、「のれんに腕押し」の答弁を繰り返した寺坂信昭前原子力安全保安院長にも、「これが日本の第一線の学者、官僚だったのか」と情けなかった。もちろん東電には責任がある。だが問題は、「基準がどうだったか」ではなく、基準を直さず放置していた責任はどうかであり、「危ない」と思っていたかどうか、ではないか。
それにしても「今の基準はダメだ」とみんな認めているのに、再稼働したり、輸出しようとしたりするのはどういうことか。また地震が来て津波が来て、事故が起きたら、「ストレステストもやったが、新しい基準は間に合わなかった」とでもいうのだろうか? そんなものが認められるはずはないではないか。
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*『ジャーナリスト』第647号(2012/2/25日刊)より転載


◎欧州危機

「そもそも経済危機はなぜ起きたのか。まず世界的な需要不足が生じていた。そこで米国は非常に変わった役割、世界の最後の消費者としての役割だった」「サブプライムローンという複雑な仕組みまで使いウソの需要を作り出していた、そのメカニズムが崩壊した」。
フランスの人類学者E・トッドはこんな風に言い、「これは単純なことだが、G8やG20の指導者はその基本的なメカニズムを分析せず、公的資金の投入で需要を無理に作り出すことしかしていない」「問題は、自由貿易こそ金融危機の原因ということを認めようとしないことだ」(藤原書店「自由貿易は民主主義を滅ぼす」から要旨)と述べている。
格付け会社が欧州9カ国の国債の評価を下げ、こんどは欧州の経済危機が語られている。その一方で、米国では大統領選を控え、オキュパイ運動が広がり、軍事面では「2つの地域紛争に同時に対処する」という長年の軍事戦略を捨て、経済政策とともに「ドル箱日本」に頼る「アジア重視路線」に足場を移した。無駄遣いはできない。米国型資本主義の危機の状況だ。
翻って日本はどうか。普天間問題の要求も、TPPもイラン原油の輸入制限も易々と受け入れ、租税負担の逆進性を知りながら消費税増税に走る…。経済を支えるために、原発を含めたプラント輸出に命運を掛ける。相も変わらぬ米国追随・新自由主義路線は、内閣を改造しても、問題を解決しない。
トッドが言う通り、自由貿易が民主主義を滅ぼそうとしている。いま、その基本を考えるときである。
*『ジャーナリスト』第646号(2012/1/25日刊)より転載


◎2011年を送る

 2011年を送る。何といっても「東日本大震災」。12月14日現在で1万5842人が亡くなり、3485人がいまなお行方不明だ。三陸一帯の海岸にある集落は津波の被害で一面荒れ野原となってしまった。福島第一原発の事故は、付近一帯を立ち入りもできない場所に変え、私たちは「地球汚染」の加害者になってしまった。
世界の動きも目を離せられない。米国経済の落ち込みはドル安を引き起こし、1ドルは80円を割った。格差の拡大は民衆の動きを引き出し、「われわれは99%。1%の金持ちは、99%の富を返せ」とウォール街を占拠したデモは地球を一周した。デモは日本の「脱原発」をも励ましている。忘れてはいけない。中東の人たちが声を上げムバラク、カダフィと独裁政権を倒した。
当時の東京を壊滅させた1923年の関東大震災では、「震災手形や復興資材の輸入超過で、経済は一層逼迫し、世界恐慌に至る低迷期に入った」と歴史書は教えている。震災は世の中と人々の気持ちを変え、その中で、ときの政府は2年後に普通選挙法と抱き合わせに治安維持法をつくった。侵略戦争につながる「モノ言えない社会」への道だった。
いま歴史の転換点に立って私たちはどうしたらいいのだろうか。一層社会の「効率化」を進め、市場化、民営化を徹底して、「弱肉強食」「自己責任」の社会をつくることでいいのだろうか。「問題あり」といいながら、ずるずると流されてしまった経験を繰り返してはならない。新しい年に向けて、原点に立ち返って考えてみたい。
*『ジャーナリスト』第645号(2011/12/25日刊)より転載


◎TPP

 60年代の後半、産経文化部の若い記者が、大阪の大学教授の「コカコーラはアメリカ帝国主義の経済侵略ですよ」という言葉を紹介して原稿を書いた。「暮らしは変わる」という続き物。デスクは「これはまずいよ」と「帝国主義」を削り、「アメリカの経済侵略だ」に直し、別の版では「アメリカ」も消え、「コカコーラは経済侵略だ」になって紙面に載った。記者は抗議したが「自由化の波」にコメントも歪められた。
政府は11月9日の閣議でTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への基本方針を決め、交渉に入ることにした。首相は「農業と自由化の両立」と言うものの具体策はなく、前原外相は「国内総生産(GDP)における第1次産業の割合は1・5%だ。1・5%を守るために98・5%のかなりの部分が犠牲になっている」と発言(10月19日)、農業切り捨ての姿勢を露骨に示した。かつて佐藤首相は「財界の男メカケ」と糾弾されたが、これでは「財界と米国のお小姓」。この政治姿勢こそ問題だ。
元をただせば「貿易自由化」も、新安保条約の経済協力条項に始まる。自由化は社会に物質的な豊かさをもたらし、生活を変えた。だが「弱肉強食」の安上がり競争で、国内産業は空洞化し、中小企業は疲弊し、農業は衰退、食料自給率は40%まで低下した。TPPが実施されると農水省試算では自給率は14%まで下がるという。
大手メディアは、都市の読者、聴視者の大きな声は取り上げるが、農村の声は軽視する。だがこれは、日本の将来、国の在り方の問題だ。
*『ジャーナリスト』第644号(2011/11/25日刊)より転載


◎現実的な決断

 もう無理なのではないか―。原発に固執しないで他の道を探さなければならないのではないか。辺野古をあきらめ、基地縮小を考えるしかないのではないか。拉致被害者が生存していると思うなら、とにかく早く北朝鮮と交渉の道を開くべきではないか。
いま政治の場では、困難な課題に、一種、理念的、イデオロギー的に対応し、頑なにこれまでの路線を無理押しする傾向が強まっていると思う。この考え方は明らかに解決を遅らせている。そこで強調されている「原発はなくせないから、推進する」、「普天間の代替は必要。やっぱり辺野古しかない」「他国の人間を拉致する国とは、到底付き合えない」などの主張は、空虚なスローガンで、実は何もしないことの表明ではないかということだ。
選挙で「基地交付金は麻薬」と拒否した稲嶺進・名護市長、「原子力のメッカ」なのに「脱原発・廃炉」を訴えた村上達也・東海村長、「転ばぬ先の杖。原発の近くの工場の移転を検討する」と表明したスズキの鈴木修・会長兼社長、拉致問題で「どんな民族も交渉なしに和解はない。制裁よりも交渉を」と訴える蓮池透さんなどの「正論」は、どんどん広がっている。
「政治」とは、原発推進論者だったメルケル独首相、ベルルスコーニ伊首相がそうだったように、人々の違う意見を受け止め、仮に自分の意見とは違っても柔軟に、現実的に対応することだろう。大事なのは、それぞれの任にある者が、そこで「どう現実を見るか」、勇気を持って、「何を決断するか」なのである。
*『ジャーナリスト』第643号(2011/10/25日刊)より転載


◎野田内閣

 「どじょうがさ、金魚のまねすることねんだよなあ」―相田みつおの詩を引用して人気を集めた野田佳彦内閣がスタートした。直後に職責を忘れて悪ふざけ発言した大臣が出てミソを付けたが、各社の世論調査の支持率は、朝日53%、毎日56%、読売65%、日経67%、共同62%などまず順調な船出だ。
所信表明演説では、「次の世代に負担を先送りすることなく今を生きる世代全体で連帯し、負担を分かち合おう」と訴えたが、具体策は見えず、増税と原発再稼働、日米同盟強化となると、「地道な路線」と手放しで評価するわけにはいかない。支持率の高さは、要するに「いい加減に政争をやめて、少し落ち着いた政治運営をしてほしい」という一般国民の願いの表れでしかない。
実際に被災者や現場をみると、まだまだそんな状況ではない。被災地はまだ手つかずの場所も少なくない。失業保険も切れる時期、雇用問題を中心に、緊急対策も必要。被災して家計を助けようと風俗のアルバイトをする女子大学生も他人事ではないし、「放射能の除染」は緊急の課題。大切なのは具体策だ。「震災からの復興はいまの世代で」というなら、再生可能エネルギー以前に、廃棄物の最終処分地を何万年も後の世代に委ねる原発などもってのほかだ。
大震災と原発事故から半年。社会も政治もメディアもとにかく突っ走ってきた。だが、日本と日本人が走りながらでも、本気になって考えなければならないのは、「これからの日本」をどうするか。「3・11後のジャーナリズム」は正念場だ。
*『ジャーナリスト』第642号(2011/9/25日刊)より転載


◎菅降ろしの結末

「菅降ろし」とは何だったのか。要するに、今後も「原発利益共同体」の利益を守るには、市民派」などというしっぽを付けているヤツを政権を執らせておくわけにはいかない。原発温存、新自由主義構造改革、米国追随路線を確実にしなければ大変なことになる。そう考えた勢力がよってたかって「人事異動」を強行したい、ということなのだろう。
「3・11」が起きたとき、既に菅首相の政治基盤は弱かった。民主党内は四分五裂、ブレーンもなく菅政権は頼りなかった。そこへの大震災。特に巨大津波と原発事故のダブルパンチ。一致団結して取り組まなければならなかったがそうならず、菅首相は浜岡原発を停止させ、エネルギー政策の見直しと自然エネルギーの拡大「原発ゼロ社会」を目指すという考え方を示したが、むしろ、仲間内が「菅降ろし」を公然化させ、政治の最重要課題のようにしてしまった。新聞はそのお先棒を担いだ。
新首相がどうなるにせよ、問題ははっきりしている。この際重要なのは「停止中の原発をどう再稼働するか」ではなく「どうやって原発ゼロの社会を創るか」であり、「大企業のための東北の再開発」ではなく「被災者の救援と地域からの復興」かだ。それはそのまま、「米軍基地のない日本」や「小さくても国民みんなが幸せになる社会」につながっている。
故郷に帰れなくなってしまった人たちがいる。肉親をみんな失った人がいる。それを考えれば、いま論じなければならないのは、「これからの日本」をどうするかなのである。
*『ジャーナリスト』第641号(2011/8/25日刊)より転載


◎玄海原発

 玄海原発のドタバタ騒ぎと菅首相の「原発にない社会」の発言で、事態はますますはっきりしてきた。「脱原発」に踏み出そうとする首相と、これをつぶそうと狂奔する政財界の「原発利益共同体」。被災地の困難などそっちのけの攻防だ。
浜岡原発停止、エネルギー計画見直しと自然エネルギー重視、発送電分離、「原発のない社会」と、次々打ち出した首相に焦った「共同体」は、「玄海再稼働」で逆転を図った。「原子力安全委員会も首相も事後承認で構わない」と、傘下の安全保安院が「安全宣言」し、献金でお付き合いもある佐賀県知事も、受注会社の社長を弟に持つ玄海町長にも「政府が責任を持つなら」とOKさせた。ついでに「市民の多数は再稼働容認」の世論づくりに「やらせ」の投書メールを組織した。赤旗の報道でばれたが、そんなことはお構いなく暴走した。
「原子力安全委員会はOKしたのか?」「保安院の宣言で納得させられるはずはない」―菅首相が怒ったそうだが、こちらの方が正常な感覚だ。結局「ストレステスト」で先送りしたがみんな余りにも無責任。菅首相ストップを掛けなかったら、よく分からないまま再稼働していたはずだ。誰が責任を持っているのかも判然とせず、どう収拾するかの方針もないままずるずると戦争を始めた昔と全く同じ構造だ。
「自分の頭で考えろ」と言わなければならないのが悲しい。それにしても、メディアはこんなに「菅攻撃」をして何をしたいのか? 要するに、「共同体」の一員だと印象付けたいのか?
*『ジャーナリスト』第640号(2011/7/25日刊)より転載


◎菅降ろし

 震災から3カ月を超えたのに、瓦礫は片付かず、まだ行方不明者が7700人余、避難者が8万4000人近く。生活のメドが立たず、収入も蓄えもなくなった以上、食費も光熱費も自分持ちの仮設住宅などには移れないから、避難所暮らしの人の数は減らない…。そんな状況を知りながら、与野党揃っての権力争いは恥ずかしくないのだろうか。
別に菅首相を支持するのではない。確かに実行力や決断力に問題があったかもしれないが、他の人ならもっとうまくいったという保障もない。菅首相の代わりに誰を据えるという密約もないらしいから政治空白ができるのは確実な中での「菅降ろし」の合唱は、どうにも理解できなかった。なぜ、こんなにしつこいのか。
しかし、「浜岡原発停止で『原発利益共同体』の逆鱗に触れたんだよ」という解説はわかりやすい。「原発で50%賄うというエネルギー計画の白紙化や、自然エネルギーの推進は、『菅に任せてはおけない』ということになった」ともいう。「災害復興を機会に『特区』や規制緩和で、財界主導の『新自由主義改革路線』を徹底したい。そこでも菅を使い続けるのは考えものだ」―。それが「菅降ろし」背景だった。
分かった! それなら改めて菅首相に提案したい。独、伊に続いて「脱原発」を宣言し、そのステップを明らかにしよう。日米関係や新自由主義構造改革も見直し、歪みをただそう。メディアが「延命策」と書こうが書くまいが、大まじめに宣言しよう。そうなれば、歴史に残る「市民運動出身宰相」である。
*『ジャーナリスト』第639号(2011/6/25日刊)より転載


◎非常事態法

大震災の中で迎えた憲法記念日。どさくさに紛れて、「憲法を含め,国家緊急事態に関する不備の是正が喫緊の課題」(産経)だの「『緊急事態基本法』を制定してはどうか」(読売)などという議論が登場している。
産経はさらに「『自衛隊は国民の軍隊』明記を」と強調、読売は「近い将来の憲法改正が容易ではないことを考えれば」と、明文改憲が事実上困難だとの認識の下で、「緊急事態時に、国が万全の措置を講じる責務を持ち経済秩序の維持や公共の福祉確保のために、国民の権利を一時的に制約できるようにする」ことを主張している。
自民党もこれに乗るし、読売の座談会には民主党の前原誠司氏も登場、「基本的人権の尊重は書いてあるのに、国家の自然的権利である自衛権は書かず、解釈で判断していることに問題点がある」と述べ、「国を守る責務」を書き込むことなどにも言及、「憲法は不磨の大典ではない」と述べる。いささか「どさくさに紛れて」といった感はぬぐえない。
要するに、「非常事態法規がないから対応が遅れた。非常時には私権の制限も必要だ」と言いたいらしいが、瓦礫の整理にしても危険な場所からの退避にしても、要は、「自分が全責任を取ってやる。あとで補償をするのも当然だ。だから指示に従ってくれ」と明確に表明する姿勢と責任感、それを受け取る国民の信頼なのではないか。
大震災の中でも、いや、震災の中だからこそ、「健康で文化的な生活」を保障した憲法を生かし、内容を充実させることが求められていると思う。
*『ジャーナリスト』第638号(2011/5/25日刊)より転載



◎危機の中の報道

東北を襲った地震と津波の爪痕がとても片づかないのに、問題の大きさがますますはっきりしてきているのが、東電・福島第1原発の事故だ。
壊れた原子炉は安定せず、とうとう世界で初めて、意識的に放射能汚染水を放出しなければならなくなった。避難地域や農産物の出荷禁止も拡大、魚介類が心配だ。「シーベルト」とか「ベクレル」とかの数値が流れるが、「当面健康に影響があるレベルではない」と説明され、その発表が、かえって国民を不安にする。なぜか? それは最初から東電も政府も、きちんと事態の真相を報道していないからだ。
「国民が覚える不安感は、直面するリスクに関する正確な情報が、必ずしも的確に伝達されていないことに起因する」「たとえ深刻な情報であっても―むしろ深刻な情報であればあるほど―正確に国民に伝えられるべきもの。そうであればこそ、事態の深刻さを冷静に踏まえた適切な行動を求める呼びかけは、人々を動かす力となる」―日本学術会議の声明は短いが本質を突いている。
責任を逃れたい東電はとにかく、政府もメディアも「混乱」を避けようとするあまり、本来伝えなければならない情報を報じることに自粛し過ぎたのではないか。各地の放射能測定データや拡散予測図も外国からの報道で知るなどというおかしな現象がメディアと政府への不信感を募らせた。
混乱を心配して、知らせなければならないことを知らせない。それは読者、視聴者をバカにした行為だ。いうまでもなく、「ジャーナリズムの放棄」である。
*『ジャーナリスト』第637号(2011/4/25日刊)より転載


◎リビアのジャーナリスト

「この映像を無事届けたら殺されてもいいと思った。それまでは怖かった」―運転しながら小さなメモリーカードを見せながら話す男性。「この映像がテレビに映ったのを見て、本当に嬉しかった」。NHKの「クローズアップ現代」(3月7日)の紹介だ。
内戦の様相を帯びてきたリビアの状況がテレビに流れるのはこんな「市民ジャーナリスト」が自分たちで小型カメラを回し、それを国外に持ち出しているからだ。テレビにも、撮影した街の名を「○○とみられる」と紹介したユーチューブからの映像が時折出る。インターネットができなくてもビデオは回せる。それが「プロ」の手でテレビに載って広がり、世界に真実が伝わる。情報は伝えられて初めてメッセージとなる。情報に関わるすべての場に「ジャーナリズムの現場」があり、ネット時代のジャーナリズムは市民とプロの「協働」だ。
斎藤茂男さんは、ジャーナリストについて、ともに民族解放を考え、人民大衆のために働き、宣伝者、協力者、組織者であり、政治ゲリラだったりする「闘争者、革命者そのもの」でなければ…と書いている。「私は母国で政治ゲリラをやっている」という、ジャーナリストだった後のパリ会談の代表、グエン・ティ・ビンさんの言葉も紹介している。
いま、普通の市民が「闘うジャーナリスト」になるとき、情報の「プロ」、つまり、既成のジャーナリズムの責任は一層重い。「民衆の革命」は、現代に生きるジャーナリストとジャーナリズムの在り方をも問いかけている。
*『ジャーナリスト』第636号(2011/3/25日刊)より転載


◎ネットの革命

 23年続いたベンアリ政権を倒したナイジェリアの「ジャスミン革命」、30年間のムバラク政権を崩壊させたエジプトの「ホワイト革命」。民衆のデモは、イエメン、バーレーン、リビア、イランなどに広がった。
1989年、「東欧革命」は「テレビの革命」と言われたが、2011年の革命は「ネットの革命」。携帯電話がメールだけではなくインターネットも見られるスマートフォンになり、ネットには「ブログ」が登場し、「ツイッター」から「フェイスブック」へ。それが人々をつないだ。
今世紀の初め、携帯電話を持っている学生はクラスでもひとりふたりだった。やがてそれが逆転、いま携帯がない学生はまずいない。大学からの連絡はメールで来るし就職説明会などの登録はネットにエントリーシートを書き込むから、ネットからも逃げられない。「青春の長電話」も「いまどこにいる」というデートの連絡も携帯。コミュニケーション・ツールは大きく変化した。
だがそこで考えるのは、そのツールに運ばれるメッセージの性格だ。アルジェリアでもエジプトでも、失業やら貧困やら自分たちの生活と長期独裁政権への不満が「デモに行こう」「広場に集まれ」というメッセージとなって国民の気持ちを一つにした。中東のデモもイスラムの宗派対立だけに矮小化はできない。
「私のペット」や「僕の日記」が溢れる日本のブログ。だがそこで社会的・政治的なメッセージをどう語り合い、広めるのか。「ネットの時代」だからこそ、メッセージが大切。それを考えたい。
*『ジャーナリスト』第635号(2011/2/25日刊)より転載


◎小沢問題

 「マスコミはとにかく小沢さんを辞めさせたいんですね?」「特捜の暴走だとか、意図的なリークだっていうけど、やっぱり疑惑はあるんでしょう?」「民主党は自民党と違うと思っていた。小沢さんはやめるべきだと思うなあ…」
 決して論理的でもない議論だが、報道で作られた陸山会の政治資金事件に関する庶民のイメージはこんなものではないだろうか。4億円の出所とか、解散した政党のカネとか、新聞に散々書かせたあげく、とにかく決着。だが「田中、金丸以来の検察の執念」「要するに権力闘争」との解説や、「民主党捜査情報漏えい問題対策チーム」設置もあって、検察とマスコミへの批判がこんなに噴出したのは初めてだ。
端的に言おう。まず事実の問題として、小沢幹事長の「疑惑」から、石川議員の「自供」に至るまで、検察の捜査とメディアの報道は、一体どこまでが本当で何が間違っていたのか。何がリークで、何が自主取材か。なぜこんなことになったのか。小沢幹事長同様、検察にも、報道にも「検証」と「説明」が求められている。
もう一つ、この問題の大きさはどの程度のものだったのか。とりあえずの「小沢続投」で気になることがある。それは「官僚排除」を名目にした国会法改正や「社共排除・二大政党制」を狙う衆院の比例定数削減構想のごり押し計画だ。「陳情の一元化」という国会議員の役割と活動の制限も認めることはできない。
国民が求めるのは「政治の民主化」だ。民主党の議席は、「小沢独裁」や「保守延命」に与えたのではない。
*『ジャーナリスト』第634号(2011/1/25日刊)より転載


◎WikiLeaks

 「公益の重みで判断したい」というのは朝日、「公益性欠く米外交文書の暴露」と読売。ウィキリークスについての社説だ。ともに情報の「公益性」や「責任」を問う。なるほど…。だが、本当にそれでいいのだろうか。
確かに今回は、各国首脳に対する辛辣な批評をした外交文書などが話題になった。だが同時にサウジ国王やエジプト大統領の「イランが核開発を進めれば自国もやらざるをえない」などと表明したとの公電も暴露されている。以前、イラク戦争の民間人死者が6万6千人という事実や、バグダッドでの米軍ヘリの民間人襲撃の映像も流れた。つまり当然広く伝えられるべきことが、ここで初めて告発されてきたのだ。
サイト創設者J・アサンジ氏は「権力者の横暴と戦うことこそ優れたジャーナリズムの役目」「世界のメディアは、政府や企業、機関に対して問いただすことが少なくなった。これを変えなくては…」と語っている。われわれが考えなければならないのはこのことだ。
一方、警視庁の公安情報が漏れ、犯人探しや出版差し止めが問題になった。だがここでも、警察がモスクを終日監視していた事実や銀行やレンタカー会社が警察には簡単に情報を渡している事実が暴露された。間違えてはいけない。プライバシーを侵しているのは警察の方である。
国家機密も公安情報も流出は止められない。内部告発者を非難してどうなるのだ? その情報を読み解き、どう伝えるかが、ジャーナリストの責任。その相手は「国」ではなく、「民衆に対して」である。
*『ジャーナリスト』第633号(2010/12/25日刊)より転載


◎TPP

  60年代の後半、産経文化部の若い記者が、大阪の大学教授の「コカコーラはアメリカ帝国主義の経済侵略ですよ」という言葉を紹介して原稿を書いた。「暮らしは変わる」という続き物。デスクは「これはまずいよ」と「帝国主義」を削り、「アメリカの経済侵略だ」に直し、別の版では「アメリカ」も消え、「コカコーラは経済侵略だ」になって紙面に載った。記者は抗議したが「自由化の波」にコメントも歪められた。
政府は11月9日の閣議でTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への基本方針を決め、交渉に入ることにした。首相は「農業と自由化の両立」と言うものの具体策はなく、前原外相は「国内総生産(GDP)における第1次産業の割合は1・5%だ。1・5%を守るために98・5%のかなりの部分が犠牲になっている」と発言(10月19日)、農業切り捨ての姿勢を露骨に示した。かつて佐藤首相は「財界の男メカケ」と糾弾されたが、これでは「財界と米国のお小姓」。この政治姿勢こそ問題だ。
元をただせば「貿易自由化」も、新安保条約の経済協力条項に始まる。自由化は社会に物質的な豊かさをもたらし、生活を変えた。だが「弱肉強食」の安上がり競争で、国内産業は空洞化し、中小企業は疲弊し、農業は衰退、食料自給率は40%まで低下した。TPPが実施されると農水省試算では自給率は14%まで下がるという。
大手メディアは、都市の読者、聴視者の大きな声は取り上げるが、農村の声は軽視する。だがこれは、日本の将来、国の在り方の問題だ。
*『ジャーナリスト』第632号(2010/11/25日刊)より転載


◎特捜の証拠ねつ造

 記者になって初めて、「調書」なるものを見て、それが整然と書かれているのに驚いた。
取り調べは一問一答なのに「私は何年何月どこどこの生まれで…」と話し始め「悪いこととは知りながら出来心でやってしまいました。申し訳ありません」などと書かれる。最後に「間違いありません」と拇印。「江戸時代のお白州裁きが続いている」という「解説」もあるが、言ってもいないことが書き込まれてしまうのは、この「調書」の作り方から始まっていると思えてならない。
大阪地検特捜部の証拠ねつ造でつくづく思うのは、取り調べや調書、裁判官の意識まで含め、根本的に直さないといくらでも冤罪は生まれる、ということだ。事件取材の経験があり、特に特捜を回ったことがある記者なら、こんどの事件をほぼ例外なく「そんなこともあるだろうなあ…」と受け止めている。
だが「おかしい」と思っても、出たい一心の被疑者は捜査側の筋書き通りの「自供」。話の筋は通っていて、覆す材料はない。取材先の口は堅く、結果として「…と検察は見ている」という筋書き通りの記事になる。古くは松川も三鷹も、最近では鈴木宗男事件も小沢事件もそうではないか。捜査―報道―裁判、それが全体の構造だ。
それにしても、間違っていると知っての村木さんの逮捕・拘留は、罪の軽い「証拠隠滅」ではなく、れっきとした「特別公務員逮捕監禁罪」ではないのか。ここは「捜査の在り方」の徹底分析が必要だ。そして「捜査機関が信用できない時代の事件報道の在り方」も勿論だ。
*『ジャーナリスト』第631号(2010/10/25日刊)より転載


◎現実的ということ

 久しぶりに「8・6」のヒロシマ訪れて考えたのは、「ノーモア・ヒロシマと、核抑止論廃棄との落差」だった。普天間問題でも「基地は国外または県外に、と軍事基地がない日本との距離」が問題だった。実は問題の本質はここにある。
その点、鳩山内閣は正直だった。「駐留なき安保」を語っていた首相は、追及されてこれを封印、米国と財界と防衛・外務官僚の「安保固定派」が足を引っ張り、マスコミがこれに乗った。その結果、首相は退陣して、国民の期待に応えられなかった。
鳩山内閣からほとんど「居抜き」で政権を受け継いだ菅直人首相は、散々批判していた「米国追従の外交防衛政策と新自由主義構造改革路線」に戻り、保守勢力や米国をほっとさせた。「8・6」では「核兵器のない世界の実現に向けて先頭に立って行動する道義的責任がある」といったが、直後の記者会見では、「核抑止力は必要」と、けろっとして述べた。
8月のメディアはNHKが「大本営発表」や「玉砕」のごまかしがいかにして生まれたかに取り組むなど元気だった。しかし一方で気になるのは、「九条も核抑止論否定も正しいがそれは理想論。現実は違う」という議論だ。戦争はなくせない。仕方がないから軍備も必要、という論理…。
だが本当にそうなのか? この論理は既に一世代古いのだ。いまは、核兵器は「使えない兵器」だし、米軍さえ軍備を縮小せざるを得ない時代。「国際紛争は外交で」は常識で、こちらの方が「現実論」だ。その原理を共通のものにしなければならない。
*『ジャーナリスト』第630号(2010/9/25日刊)より転載




◎参院選

 焦点ははっきりしていたはずだった。普天間問題での「裏切り」と、菅内閣が突然言い出した消費税増税をどう考えるのか。「自民党も民主党もノー」なら、庶民を代弁するのは、社民、共産しかないのではないか…。だが結果は、民主大敗、自民復調、社・共敗北、何と躍進したのは「みんなの党」だった。
社・共の「敗因分析」がいろいろ聞かれる。曰く「イデオロギーなき時代だから」「活動家の老齢化と若者の政治離れ」「何でも反対で非現実的」…。しかし、私が思わず頷いたのは、「問題は『政治討論会』や、『サンデーモーニング』でもいいし、『クローズアップ現代』でもいいが、そんないい番組を見て考える習慣が減って、みんな『テレビタックル』で笑い飛ばす風潮になっていることが大きい」という指摘だった。
「生活や仕事に疲れ切った庶民は面倒くさいことが嫌いになり、問題を深く考えることはしない。番組の中でも外でも悪者を作って娯楽を求める。そこでは共産党どころか社民党も相手にされず、議員や公務員いじめで溜飲を下げる。イライラした国民はどっと民主に流れ、今度はどっと保守第三党に流れた…」。
なるほど、と思う。しかし、日本という国が民主主義の国だとすれば、どういう日本にしたいか、どうあるべきか、話はもっと論理的、長期的であるべきだろう。そこにメディアの役割があり、責任もあるはずだ。
メディアと世論。ニワトリとタマゴの関係かもしれないが、どう日本を変えるのか、そのためにどうするか、考えることは多い。
*『ジャーナリスト』第628号(2010/7/25日刊)より転載


  ◎自立か――選択のとき

   「普天間の話、あるいは政治とカネの話は直接国民生活には影響しない」「地方に行くと、普天間は雲の上のお話」―糸満の伊賀敷郁子市議に抗議された民主党の山岡賢次国会対策委員長の発言は、民主党の「本音」が飛び出したものでだった。
簡単な問題ではないことは分かっていたはずなのに、「国外、最低でも県外」と公約した。今頃になって「学べば学ぶほど抑止力として必要」などと言うのでは話にならないが、これも、要するに、「他人事だったのだなと、考えれば納得がいく。つまりこの問題は日本の将来像を問い、政権交代が本物かどうかを問うことなのに、それにあまりにも無感覚だったのだ。
安保改定から50年。当時の文献を見て思うのは「ことの依ってきたる所以を別として」、暴力をやめよ」と説く「七社共同宣言」の思想がいまも生き続けているということだ。政治もメディアもすべて「なし崩し」を許し「ことなかれ」で済ませる。安保を受け入れ基地を受け入れ、「抑止力」といわれると思考停止する。そんな日本になってしまった……
どう結論を出しても、普天間の解決には時間がかかる。ここで大事なのは、対米従属を受け入れ、今後10年、20年、あるいは30年、40年と、米軍基地の存在を認め、日本国憲法の原理を否定したままの日本でおくのか、それとも毅然として自立し、憲法が予定した平和外交に生きる国として進むのか、どちらの方向に足を踏みだすかというなことのだ。
「自由と独立ほど尊いものはない」――ホーチミンの言葉である。
*『ジャーナリスト』第627号(2010/6/25日刊)より転載


◎普天間

 「結局キャンプ・シュワブで決まり」「いや本命は徳之島らしい」…。ここ数カ月、米軍普天間基地「移転」をどうするかが報道の焦点になっている。「5月決定は絶望的」とか、「グアム、テニアンは歓迎」もあれば「グアムも拒否」もある。「何でもあり」の普天間報道だ。
この大報道の中で、内閣支持率は低下を続け、3月の支持率は共同が36・3%、朝日32%、読売33%、一番高かった毎日で43%だったし、4月の調査が出た時事は23・7%、日本テレビ28・6%、テレビ朝日28・5%と既に「危険水域」という。まるで「普天間の公約実らず」、「首相の責任は重大、退陣へ」という大見出しを想定し、政局はそこに向かって流れているかのような報道ぶりだ。
しかし、ここで考えたいのは、この普天間報道の中で何が明らかになったか、ということだ。最も問題なのは、普天間基地の「移転」を論じたが、「廃止」を議論することがなかったこと。この海兵隊基地が本当に必要なのか? 何のための基地なのか? それは日本の安全や将来とどう関わるか? それはほとんど論じられていないままだ。JCJのミニシンポではないが、日本はいつまで米国のポチなのか? それをぬきに普天間が決められるのか?。
鳩山政権は未熟で、外から見える通り危なっかしい。しかし、では自民党政権に戻った方がいいのか? それとも「たちあがれ日本」に未来を託すのか? 世論はメディアがつくる。「メディアの政治シニシズム」といって済まされる問題でもない。
*『ジャーナリスト』第625号(2010/4/25日刊)より転載


 ◎メディアの危機

 総広告費は11・5%減、新聞は18・6%減、テレビも11・2%減、インターネットが新聞を追い越した―。まさにマスメディアの危機を象徴する数字だ。週刊「東洋経済」2月20日号は「再生か破滅か、新聞・テレビ断末魔」と特集を組んだ。新聞もテレビも、本当にダメなのか。
「マスメディアの危機」が語られるようになってもはや久しい。「安保で死んだ新聞が公害で蘇った」と言われた70年代から、「マスコミ大国」の時代に入って、その状況は深まった。だがその時代、「危機」の中身は「視点を欠いた情報の垂れ流し」だった。だが、最近では危機の中身は収入の落ち込み。要するに「経営危機」だ。ネットの普及がヤリ玉に挙げられ、「構造危機」だという。
だから、この「危機」に「対応策」も語られている。通信社の利用、取材網の縮小、販売や編集の新聞社同士の連携…、合併がいいとか、国際化が必要とか論じられる。だが、この「対応策」の多くで気になるのは「ジャーナリズム」についての指摘がないことだ。
目先のメディア経営の立て直しは必要で、確かに大事だ。だが本当の問題は新聞もテレビもその「質」にある。読まなくてもいい新聞、見なくてもいいテレビではなく、読者にとって本当に大切なことを伝えているか。それを読者の目線で論じているかどうか。大事なのは、そこで開き直って、ジャーナリズムを蘇らせることではないのか。
「危機といって、ジャーナリズムが論じられないこと」こそ「メディアの危機」と思えてならない。
*『ジャーナリスト』第617号(2010/3/25日刊)より転載


 ◎選挙の争点

 この10カ月、政治は何をしていたのだろうか? その中で、政治報道はどうだったのか? 要するに、選挙はいつか、自民党と民主党とどちらが勝つか、政治家の言動を追い掛けていただけではなかったのか!
選挙目当ての政権ができたと思ったら、金融経済危機で目を奪われ解散は延びた。「派遣村」で労働法制が問題になったが、法改正は店ざらし、失業率は5・2%、有効求人倍率は4・4と悪化。米国に巨額のカネを渡す「グァム協定」も承認、自衛隊派遣の恒久化の「海賊対処法」も全く限定なく成立。その間騒がれたのは、西松建設の献金疑惑、続く二階、与謝野、鳩山疑惑、西川vs鳩山の郵政騒ぎから、東国原騒ぎまで…
国民は報道による政局の面白さに翻弄され、ドタバタ騒ぎが肝心の問題を忘れさせた。「みぞゆう」「ふしゅう」演説や「中川もうろう会見」もあった。そしてドタバタの延長線上で総選挙の日程が決定。メディアは「ようやく!」と書き「政権交代が焦点」と論じる。「とにかく変わればこの閉塞感に突破口ができる」という。だが、民主党政権は自民党とどこがどう違うのか?
端的に書こう。本当の争点は「政権交代」ではなく「政策の転換」の是非だ。つまり憲法を無視し自衛隊の海外派遣を広げる対米従属路線か、それとも憲法を旗印とした自主外交か、であり、同時に、格差是認の「新自由主義構造改革」継続か、国と社会が国民生活に責任を持つ新しい「福祉国家」の道か、だ。換言すれば、「日本の在り方」が問われている。
報道は「政権交代の面白さ」に溺れてはならない。大切なのは「政策転換」の是非であり、その「争点」を明確に示すかどうかである。
*『ジャーナリスト』第616号(2009/7/25日刊)より転載


 ◎憲法審査会

 どさくさに紛れて改憲論が動き出している。自・公両党は5月11日、憲法改正の原案を審査する「衆院憲法審査会」の規定案を反対を押し切って可決した。「海賊」問題でも「敵基地攻撃」論でも、「それをするなら明文改憲などいらないんじゃないか」と思うのだが、やっぱり憲法にこだわっている。
この議決に、読売新聞の社説は「参院も衆院に続き制定へ動け」と主張。「法律で設置を決めた機関を休眠状態のまま放置しておく。そんな国会の不作為の解消へ、やっと一歩が踏み出された」「改憲論者の鳩山民主党代表は、記者会見で『憲法は当然、大いに議論すべきだ』と表明した。民主党は、その言行を一致させなければならない」と書いた。民主党政権に備えての審査会強行であることが透けて見える。
東京新聞の社説は「駆け込みで機能するか」と批判。読売と対照的だったが、問題なのは朝日の一般記事。「国会の3分の2の合意形成は崩れ、総選挙前に与野党協議が進展する見込みはなくなった」と残念そう。そんなに改憲への「合意形成」が必要だったのか。毎日も「野党分断狙う」とそこに焦点を当てている。
いま「ことばのまやかし」がまかり通っている。「ソマリア海賊」とは「海外派遣恒久・自由化」だし、「敵基地攻撃」とは「戦争を始める」ということ、「国会議員数の削減」や、「二大政党」論は「少数政党締めだし」だ。メディアに求められているのは、この「まやかし」を読み直すことではないか。
鳩山民主党代表が掲げる「友愛路線」が、「大連合による憲法破壊」だとすれば、とても支持するわけにはいかない。そういえば、鳩山氏には「新憲法試案」なる著書もある。
*『ジャーナリスト』第615号(2009/6/25日刊)より転載


 ◎既成事実

 恐ろしいと思うのは「反対」しても「おかしい」という批判があっても、「のれんに腕押し」で事態が進んでいることだ。
「海賊退治」を名目に、防衛大臣の命令だけで、アラビア海の先まで自衛艦を派遣する。「危険はない」と言いながら、全く意味がないPAC3を移動・配備して「北朝鮮の脅威」を煽り自治体を戦時訓練に動員する。派遣した自衛艦には基地が必要だと、ジブチ政府と基地協定を結び、哨戒機と陸上自衛隊まで出して、活動の足場を造る。国会では、米海兵隊移駐のため6千億円も支出する「グアム協定」を承認させ、「海外派遣恒久法」を通そうとする。
どれもこれも、憲法との整合性を図って政府が辛うじて守ってきた原則や理屈を覆し「既成事実」を進めている。民主党は「政権交代には日米関係を変化させないことだ」と、ポーズだけ反対するが、事実上協力し、世の中もそれを黙認する。そこで大事なのはジャーナリズムだが、これがまた世論に弱く、だらしがない。かくして経済危機の中、「日本の軍事化」が進んでいく。
「ジブチ基地」で連想したのは「関東軍」だった。「北朝鮮ミサイル」で思ったのは「関東防空大演習」だった。軍部に批判的だった新聞も、1931年9月、関東軍の謀略だった「満州事変」で、姿勢をがらっと変え、以来日本は戦争への道を突き進む。そういえば、今回も自民党の坂本剛二組織本部長は「国連で主張が通らなければ国連脱退とか核武装するぐらいのことをを言うべきだ」と言ったという。
問題は「自民か民主か」ではない。メディアが問題にすべきことは、「改憲・軍事化・没論理の政治か、護憲・民生優先・道理に立った政治か」である。
*『ジャーナリスト』第614号(2009/5/25日刊)より転載


 ◎ジャーナリズム

  朝日新聞襲撃事件の実行犯の告白―と聞いて、驚かないメディア関係者はないだろう。だが、紙面を含めた朝日との何回かのやりとりのあと、週刊新潮は記事が完全な誤りだったことを認め、謝罪した。同じ4月15日、奈良地裁はルポライターに放火事件の少年の鑑定書を見せた医師を、刑法の「秘密漏示罪」で有罪とする判決を下した。取材源を叩いて実質的に報道の首を絞める仕組みが機能した。
これらの事件を見て痛感するのは、関わった関係者の「脇の甘さ」だ。週刊新潮編集長の「週刊新潮はなぜだまされたか」も率直なだけに、この程度で…とがっかりしてしまうし、崎浜事件のルポライターの動きはまさに「素人」。プロとして心得るべきことを誰からも教えられず、出版社も放置した。
どちらの場合も、記事にしなければ、本にしなければ、と焦り、何のために、何をどう伝えるのか、という「ジャーナリズムの基本」を忘れたことに原因がある。ひとりよがりの判断と、それを許した「ジャーナリズムの劣化」。立ち止まることなく走って、滑る。そこでは「事実」の重みも、「意味」も忘れられ、「論理」が消える。「北朝鮮ミサイル報道」も例外ではなかった。
原寿雄さんが「情報栄えてジャーナリズム滅び、ジャーナリズム滅びて民主主義亡ぶ―そうなってはならない」と強調している。「ジャーナリズムの再生」は一朝一夕では果たせない。だが同時に、具体的な一つ一つの出来事に対応することからしか始まらない。改めて「ジャーナリズム」にこだわりたい。
*『ジャーナリスト』第613号(2009/4/25日刊)より転載


◎ソマリア派遣

  麻生政権の不人気と特捜の小沢捜査が大々的に報道される陰で、議論らしい議論もなく、海上自衛隊のソマリア派遣が決まり「海賊対処法案」も閣議決定された。
まず海上警備行動で派遣、新法に切り替えるという「まず派遣ありき」の強引なやり方。期間も、法的な説明もないままの決定。メディアも、NHK「クローズアップ現代」さえ社・共両党首の言葉以外の批判はなく、浜田防衛相の説明を長々流すキャンペーンになった。
もともとは、これは海上保安庁の仕事だ。もちろん日本の周辺が中心だが、マラッカ海峡の海賊対策はインドネシア、シンガポール、マレーシアなどの沿岸警備隊とともに海保が対処したし、原発燃料輸送には巡視船が護衛した経験もある。それがルールだ。
ところが「何が何でも自衛隊派遣」の勢力は、「大連立」でこれを巧妙に進めた。昨秋の国会で民主党・長島昭久議員が海上自衛隊の派遣を「提案」、麻生首相が検討を約束。自衛隊の難色も民主党の「追い風」に飛ばされ「議論なし派遣」に至った。
一体「ソマリヤの海賊」とは何なのか? 背景はいろいろあっても、確かなことは「生活に困窮する漁民」だということ。事実上政府がない中での「海賊退治」は、民衆の生活安定以外に成り立つはずはない。
インド洋にはアフガン攻撃のための給油艦、その奥に、海賊退治の護衛艦…。随分豪勢な存在の誇示だ。一体憲法の精神はどうなったのか? ただ「日の丸を立てればいい」というものではない。「海賊退治」はオリンピックではないのだ。
*『ジャーナリスト』第612号(2009/3/25日刊)より転載


◎新旧2冊とメディアの責任

 やっぱりメディアの責任は重い…。
「構造改革」のかつての急先鋒、中谷巌氏の新刊「資本主義はなぜ自壊したのか」(集英社)と、99年の初版以来10版の二宮厚美氏「現代資本主義と新自由主義の暴走」(新日本出版社)の新旧2冊を読み、改めてそう思った。
3月期決算を前に大企業の赤字見通しや人員整理や減産リストラ計画発表が続き、状況はますます悪くなるという。この2冊の本は、こうなることが理論的に明らかなのに「構造改革」を推進したイデオローグがおり、メディアがその後押しをしたことを明らかにしているからだ。
99年の本で二宮氏は、政府・財界と中谷氏ら推進派のイデオローグを批判しながら「かつてマスコミは選挙制度改革派と批判派の対立を改革派対守旧派の構図にすりかえて描くのを常套としたが、その後もそれと同じことを行革派対族議員という単純な構図で繰り返してきた」と指摘している。
一方、中谷氏は「グローバル資本主義や市場原理が本質的に個人と個人のつながりや絆を破壊し、社会的価値の破壊をもたらす『悪魔のシステム』であること」を解明する「懺悔の書」として、今度の本を書いたという。
既に状況は明らかだ。メディアは「政治改革」をもてはやして民意を切り捨てる小選挙区制を作り、「構造改革」をもてはやして格差社会や派遣切りを生んだ責任から逃れられない。
いまこそメディアは、この「悪魔のシステム」を捨てるキャンペーンを始めるべきではないか。「憲法25条に根ざした国づくり」に、ペンを、マイクを!
*『ジャーナリスト』第611号(2009/2/25日刊)より転載


◎給付金とは?

 自民党は、いつから世論に対してこんなに不遜で鈍感になったのだろうか。
「賛成28%反対63%」(朝日)「賛成17%反対78%」(読売)「賛成23・7%反対70・5%」(共同)、毎日も12月調査で「賛成21%反対70%」だった。「給付金制度」についての世論調査結果だ。それなのに衆院で強行。参院で否決されれば再議決に持ち込む、という。おまけに、首相から議員まで、これを受け取るかどうか大騒ぎだ。
2兆円あれば「派遣切り」に遭った若者から、外国人労働者対策、生活保護や介護、医療の引き上げなど山積みしているやってほしいことに使える。そうすれば「麻生人気」にもつながるのに、もったいない。
だが、自民党がこれを方向転換できないのは、公明党が言い出した「定額減税」に始まっているからだ。もちろんそのバックには8百万世帯を抱える創価学会がある。選挙を考えれば、その意思には逆らうわけにはいかないらしい。
「こういうカネが入れば、学会員は、財務もしやすいでしょ?」という声も聞こえる。何を隠そう。「財務」とは学会への献金のことだ。そのために…とは考えたくない。しかし確かに、夏には公明党が力を入れる都議選もある。
よく聞かれるのは「鶴タブーってまだあるんですか?」「新聞社は聖教新聞を印刷しているから、批判できないんですか?」という質問と、「学会系の広告が多いね…」という意見だ。
新聞も放送も「なぜ給付金にこんなにこだわるか」をはっきり書かなければ、ジャーナリズムの責任は果たせない。
*『ジャーナリスト』第610号(2009/1/25日刊)より転載


◎クビ切り旋風

トヨタ、日産など自動車12社で、派遣社員切りが続出、1万4千人に達するという報道に続き12月に入ったら、正社員を含めたクビ切り旋風が吹いている。日本IBMが千人規模、ソニーが1万6千人、東芝、キヤノンも数百人規模…。ひどい年の瀬になった。
基本的に労働者を解雇するには、解雇を回避する努力をして、どうしてもほかに方法がないときに、公平に、労組と協議して始めて実施することが必要だ。判例でも確立した「整理解雇の4要件」だ。
労組や労働弁護団、共産、社民党両党などはこの法制化を求めているが、経営側は「解雇の自由」を主張して、堂々と押し出してきているのが今回の「クビ見切りラッシュ」。一方で企業利益は、ざっとみて、トヨタが1700億円、日本IBMは940億円、東芝は700億円、とても労働者を整理しなければやっていけない、などというものではない。
クビ切りも雇い止めも、ただ数字で報道される。しかし、重要なのは、そのひとり一人に生活があり家族があるということだ。派遣労働者でいえば、次の職場以前に、すぐ住む場所がない。昔なら田舎に帰れば何とかなった。だがいまは、そうではない。ここはとにかく、大企業にはこの人員削減はやめさせ、中小・零細の場合にも、国と自治体が緊急に対策を講ずるしかない。
12月4日の集会を朝日が一面トップで扱い、話題になった。だが、4野党揃った集会を扱わないこと自体、どうかしている。政治もおかしいが、メディアはひどく鈍感ではないか。
*『ジャーナリスト』第609号(2008/12/25日刊)より転載


◎オバマ当選

「アメリカは、あらゆることが可能な国。建国の父たちの夢がこの時代にまだ生き続けているかを疑い、この国の民主主義の力を疑う人がいるなら、今晩その答えが出ました」―。米大統領選で当選したバラク・オバマ氏の勝利演説に、正直言って感動した。「やっぱり歴史は動いている…」
報道が伝えているいくつかの事実…。今回の選挙の事前投票は、総投票の3割に近い2350万票。各地の投票所に、何時間も待って投票する人の列があった。ネットなどを中心に、9月までにオバマ陣営が集めた資金は6億ドル、募金者リストは310万人。18歳から24歳の投票者のうちオバマ支持は68%だった、というデータもある。
もちろんブッシュ政権による2つの戦争、極端な格差、貧困、そして世界中を巻き込んだ経済危機が「追い風」になった。だが大切なのは、人々のやりきれなさやいらだちを「変革」という言葉に結びつけ、政治と社会を変えるための投票に結びつけた活動だ。「イエス・ウィ・キャン(われわれはできるんだ)」という呼び掛けが人々を動かした。そしてキング牧師の「夢」に代表される黒人たちの長い闘いの歴史があった。そこで考えるのは日本のことだ。選挙に有利なら、と計画もないままばらまき給付金で迷走する与党、理念も発言も忘れて迎合する最大野党。歴史を改ざんする自衛隊幹部。新自由主義政策の暴走で荒んだ社会…。せめて米国民の行動に学びたい。政治は変えられる。メディアはここで指針を示さなければならない。
*『ジャーナリスト』第608号(2008/11/25日刊)より転載


◎「新自由主義」路線との決別

 サブプライムローン問題を発火点にした世界金融危機が、なお続いている。「米国型資本主義の終焉」と書いたのは10月10日付ワシントンポストだ。
米国は、G7の財務相・中央銀行総裁会議だけではなくG20でも協力を求めた。金融派生商品の拡大とIT技術の発達、そして世界のグローバル化が、危機の発展も広がりもスピードも、かつての恐慌と全く違う状況をつくった。すでに世界は米国や先進国だけでは動かせない。いままさに何が起こるのかわからないのだ。
今回の金融危機の報道で感じるのは、株や為替の詳細は書いているが、この危機の本質や原因を的確に報じたものは少ないのではないか、ということだ。「銀行だけではない国民を救え」という米国でのデモも、「危機は市場を規制しない米国の責任」というIMF・世銀会合での途上国の声も報じたのは一般紙ではなく「赤旗」だった。
例外の一つは、10月15日TBSの「水曜ノンフィクション・超大国アメリカ崩壊の危機」。貧困層に焦点を当て、米国社会がよくわかった。途上国と違い、米国や日本の貧困は見えにくい。だが個々に「新自由主義」の本質がある。
この際政治もメディアも、国民生活の視点から問題を見つめ直すべきではないだろうか。いま必要なのは、日本を「米国型経済」へ改造しようとする小泉流「新自由主義構造改革路線」との決別である。
*『ジャーナリスト』第607号(2008/10/25日刊)より転載


◎自民党総裁選

 2代続いての「政権投げ出し」で出てきた候補が5人。品評会よろしく揃っての記者会見を繰り返し、10日間、全国17カ所を回って大演説…。「自民党総裁選」という名の「総選挙事前運動」が始まった。
アルバイト学生でさえ勤務シフトに縛られ、勝手に辞めることはおろか休むこともできないのに、日本の舵取り役を無責任に放り出した男の後任選びで日本中が大騒ぎ。どう見ても異常だ。取り敢えず、事件には違いないし、新聞やテレビに「報道するのをやめよ」というつもりはない。だが、これを機会に何をどう伝えるかをきちんと議論し、それが実践できているのかどうか自ら検証しているのだろうか。問われるのは問題意識なのだ。
安倍氏もそうだったが、福田首相の「投げ出し」の要因にも、果たせそうにない米国との約束があったのか。具体的な話し合いや内容を知りたい。公明党の離反が語られるが、支持母体の創価学会で何が論じられ、どう指導があるかも知りたい。総裁候補と民主党には、誰もが気づいている「構造改革」による社会の崩壊を本気で直す気があるのか、問い質したい。共産党や社民党の提起を正確に知って考えたい。
この間にも、無理に輸入した「汚染米」で、保育園や病院の給食まで危険になる。「名ばかり管理職」にはいい加減な「名ばかり基準」が発表された。米国の「テロ戦争」で治安が一層悪化したアフガンではNGO青年が命を落とした。原子力空母は横須賀に入る。
いま批判できなければ、ジャーナリズムとは言えないではないか。
◎料亭政治

 こういう記事は週刊誌しか書けないのか? そんなことを考えたのは、「サンデー毎日」8月24日号の「麻生が豪遊する『クラブ・料亭』の全情報」だ。
別に秘密の情報ではない。06年の政治資金報告書による麻生太郎自民党幹事長の資金管理団体「素准会」の支出分析だ。同誌によると、この会の組織活動費は年間8404万円。そして例えば06年2月14日には一晩で205万4322円を都内の料亭などで使ったという。具体的に「露地やま祢」「かかし家」「山祥庵」「宵待草」「ウイングスインコーポレイテッド」で8―9万余、クラブ「シュミネ」で48万余、料亭「幸本」で110万円余…。すごい額だ。
国税庁の統計では、同じ06年に年間通して働いた民間給与所得者のうち、年収2百万円以下の人は1022万7千人。全体の4・4人に1人だ。麻生さんはそんな労働者の1年分の所得を1日で使うわけ。同誌はこのカネの出所について「政党助成金を受けた自民党本部→選挙区支部→資金管理団体という順番で税金が還流したことになる」と指摘する。
この種の記事、政治部的には「品がない記事」だという。だが、そんなことを言っていていいのだろうか? 政党助成金が日本の政治にとって大問題であることは常識だ。だがそれ以前に、メディアも野党も、ポスト福田の第一人者だという人物のこの政治姿勢を告発しないで、ワーキングプアや派遣社員や格差を論じることができるのか?。
問われているのは、「メディアのメインストリームの姿勢」そのものだ。
*『ジャーナリスト』第606号(2008/09/25日刊)より転載


◎洞爺湖G8サミット

 「九条世界会議」もそうだったが、「G8」北海道洞爺湖サミットは、「世界は大きく動いている」と実感させた。
「人々から離れたところで、豪華な食事をして環境と食糧危機を論じるのか」と欧米のメディアが批判した。しかし同時に露呈したのは、もう世界は先進国だけではどうにもならなくなっている、という単純な事実だった。そして洞爺湖はそれを世界にはっきりと示した。
もともとG8は「結局、世界に新自由主義を拡大する『大国のための会議』だ。世界の人口の13%程度しか代表していない8つの国の代表が世界の将来を勝手に決めることなど許されない」と批判されてきた。数年前から開かれてきた「もう一つの世界」を求めるNGOの対抗集会やデモはその表れだ。今回も「市民サミット」が開かれたし、様々な要求を掲げたキャンプが開かれた。
実は会議でもこれが見えた。初日には食糧問題を中心にアフリカ8カ国と合同会議を開催、9日の温暖化問題でも、途上国8国と合同会議が開かれた。先進国だけではどうにもならなくなり、アフリカの意見を聞き、数値目標には米国が反対したことを受け途上国を入れた確認で「成果」にした。そこでメディアはどうだったのか。「G8市民メディアセンター」の活動は出色だった。だが東京で見た限り、東京新聞の「こちら特報部」を除き、既存のメディアに「G8で世界を見よう」と意識は乏しかったのではなかったのか。洞爺湖畔での取材で「世界のいま」がどの伝えられたのか? 改めて検証が必要だ。
*『ジャーナリスト』第604号(2008/07/25日刊)より転載


◎国会質問の意味するもの─
 「偏向番組」とは何か


 5月20日の参院総務委員会で自民党の磯崎陽輔議員は、5月11日に放送されたNHKスペシャル 「セーフティネット・クライシス 日本の社会保障が危ない」 について、NHKの福地会長らに質問した。「特定の番組について質問することは避けるべきだ」 と言いつつ、番組をヤリ玉に挙げ、スタッフについてまで言及したもので、かなり 「異例」 な質問だった。
  もちろん本人は 「圧力を加える意図などない」 というだろうが、現場で仕事をした経験を持つ立場から言えば、こんな質問について気にしなかったら、むしろおかしい。もしかしたら、こういうのを 「圧力」 というのではないか? 最も恐れなければならないのは、職場の 「萎縮」。そんなことがないように、NHK首脳部や、労組の毅然たる姿勢を改めて願うばかりだ。

「社会保障が危ない」は偏向番組なのか
  磯崎議員は、「昨年12月20日に、ワーキングプアの放送の政治的公平性について、質問した。しかし、改善されていない。今度はよりセンセーショナルだ」 と前置きして、@ 健康保険証がなく手当を受けられなかった人について、医療費が支払えないため亡くなったというが、なぜ滞納が起きたのか放送されていない。死亡との因果関係について検証がなく、いい加減だ A 民医連の病院を2つも冒頭に取り上げており、深い関係があると地元ではいわれている病院だ。特定の政党と関係が深い病院だとすれば、政治的公平の観点から問題がある  B スタッフにその方面に詳しい人がいて、番組に影響を与えているのではないか、調査すべきだ−と、NHKの福地会長、今井副会長らに質問した。
  礒崎議員は 「保険証がなくなり、手当を受けられなかった人については、市町村には保険料の減免制度もあれば、生活保護の医療扶助もある。日本の制度は 『国民皆保険』 であり、医療を受けられないことは絶対ないように配慮されている。保険証の取り上げと死亡の因果関係を検証したのか。2年間に475人が死亡した、と放送し、『ほとんどが10割負担を恐れて、病院にかからなかったものと見られる』 などと、『ほとんど何とかかんとかみられる』 という言い方で解説し、きわめていい加減だ」 と述べた。
  問題はその先だ。

  磯崎氏は、番組が堺市の耳原総合病院と倉敷の水島協同病院を取り上げていることを問題にし、2つの病院は民医連に加盟している病院で、「地元では日本共産党と関係が深いとされている」 と発言、民医連を攻撃し、「そういう病院であることを知っていたか」 と日向英実専務理事に迫った。専務は 「私自身は知らなかった。ただ、多くの病院があり取材に協力を得られるところから選んでいる」 と答えた。
  磯崎議員はさらに、NHKスペシャルのスタッフの中に、「そうした方面の情報に詳しい人」 がいるのではないか、と述べ、「放送の政治的公平性に影響を与えているという疑念を抱く」 と述べ、「NHK内部の調査をしてみる必要がある」 と主張した。   今井義典副会長は、「この番組が政治的に公平性に欠けているとはいえない」 と答弁したが、ここでもう一度考えてみなければいけないのは、一般メディアがこうした攻撃を恐れて 「自己規制」 をしてしまいがちなことについてだ。

取材先の選別、スタッフへの攻撃
  つまり、この追求の仕方は、取材先を活動の中身や、そこでの実態で判断するのではなく、「ある特定の政党と関係があるかどうか」 で選別せよ、といっているもので、要するに 「アカ攻撃」 だ。
  しかし、こうしたことへの反応は、いまもメディアの内部に残っているものではないか。「そうか、あの病院も民医連か…。どこか違うところないかなあ…」 と、レッテル張りを警戒して必要な取材先まで変えてしまうこともあるかもしれない。その 「危うさ」 を見事に衝いて、そうした風潮に乗った卑劣な質問だと言っていい。


  そしてもっとひどいのは、「その方面に詳しいスタッフが居るのではないか。居て悪いとは言わない。しかしその影響が強くあるというのだったら問題だ」 という言い方だ。「その方面に詳しいスタッフ」 というのは何を意味しているのだろうか。
  言葉通りに受け取れば、こうした社会問題に詳しいスタッフが居ることこそ、NHKが誇るべき事柄であり、そうした人が、積極的に主導権を取って、いい報道をしていくことこそ、「皆さまのNHK」 にふさわしい。
  民医連の病院が、共産党と深い関係があるかどうか、私は知らない。共産党の党員だったり支持者だったりするスタッフが多いかもしれないとは思うが、恐らくそれも決めつけだろう。しかも、この番組は、病院の医療方針やその在り方を紹介した番組ではなく、たまたま患者対応の実態について取材に協力してもらったにすぎないのだ。

  最初の部分の質問についても、この番組を聞き直した人によると、 番組は 「無保険だったから死亡した」 と言ってはおらず、「無保険の状態で死亡した人が475人いた」 と、客観的事実を紹介していた、という。磯崎質問のことで言えば、その人たちには、「なぜ市町村の救済措置や、生活保護を受けなかったのか。それをしないで保険証が取り上げられても仕方がない、そういう人がまじっていないか。とすればそれはその人の責任だ」 と言っているように聞こえる。「それを調べたのか」 というNHKへの追求は、どこかおかしいのではないだろうか。

  気になることを付け加えておこう。福地茂雄会長は、磯崎議員への答弁で、「私は現場主義だ。だから、Nスペやいろんな番組の企画をしているところ、編集をしているところに突然行ってみた。20数人のスタッフが議論しながら実に熱心に問題を議論していた。編集のところもそうだった」 と答弁した。
  かつて、共同通信にも 「偏向攻撃」 の流れの中で、福島慎太郎氏が社長に乗り込んできた。現場はピリピリしたが、労組の団結と職場の積極的な動きに、現実にはほとんど何もできなかった。「報道の自由」 とはそういうものである。

「議会質問の限界」の常識
  もともと、磯崎議員自身が言っているとおり、メディアの個々の番組について、直接自身のことに言及されて、間違いがあったとか、被害を受けたとか言うのならともかく、国会の委員会というような場で追求し、意図や手法、出演者や内容までをチェックしていこうというのは、明らかに適当ではない。
  まして政権政党の議員が政治的な力をバックに、干渉的な発言をすることなど許されていいはずはない。
  自民党は2001年4月、「テレビ報道番組の一部は公平、公正さを欠いている」 と、所属国会議員や顧問弁護団による 「報道番組検証委員会」 を設置し、全国2000人のテレビ番組モニター制度を導入、定期的に報道内容をチェックしている、といわれている。
  言論には言論で、が原則であり、こうした問題を、国会や議会に持ち出すことこそ 「政治的」 であり、問題だ。

  NHKは安倍首相が古森重隆氏を経営委員長に任命して以来、「国益を考えた放送を」 との発言が飛び出したり、強引な外部からの会長任命があったり、政府・権力からの露骨な締め付けが始まっている。
  放送法に言うように、「表現の自由」 を確保し、「健全な民主主義の発達」 に資するために、NHKが、「あまねく日本全国」 で 「豊かで、かつ、良い放送番組による国内放送」 が提供するためには、こんなおかしな干渉ははねのけていかなければならない。(2008.6.16)
(了)

  *なお、この問題については、参議院のホームページから、磯崎議員の質問の全文を視聴できるようになっている。(下記アドレス) なお、同じ委員会で共産党の山下芳生議員がこの質問に対して 「反論」 している。     また、 「放送を語る会」 は、この問題について、磯崎議員に抗議文を出している。
*(「NPJ通信『マスメディアをどう読むか』より転載)



 ◎08年5月「9条世界会議」

 初日には遠い街からバスを仕立ててやって来ても、朝早くから電車を乗り継いで来ても、会場に入れなかった人たちが何千人も出た。二日目の集会は、実行委員会によるシンポジウムやフォーラムから自主企画まで含め26。映画やライブもあり参加したいものばかりだった。
 そのひとつ、私たちの国際自主企画シンポジウム「憲法九条とメディア」も、イスだけにして百六十人という会場に床に座ったり、壁際に立ってもらって合計二百人以上。資料はあっという間になくなった。
 幕張で開かれた「9条世界会議」で痛感したのは、「憲法9条を変えて日本人が戦争に行くような時代にしてはいけない」という国民の「思い」の大きさだ。「軍隊をなくして本当に大丈夫なんですか」と真顔で尋ねる若い青年を含め、ひと味違う参加者が主催者の予想を大きく超えた。
   同じ思いの人たちの集いは、互いを勇気づけ、勇気づけられる。大切なのは、「非戦・非武装」という考え方が着実に広がっているということ。それに気づいていないのは、案外運動をしている自分たちではないかとも考える。シンポでパネリスト、金成春さんは「大切なのは確信を持つことだ」と言い切った。もはや「9条」は日本だけのものではない。
   朝日の国分高史論説委員が書いている。「憲法9条は、ふだん国会で取材をしている政治記者の想像以上に広く、深く、若者たちの間に根を張っているのではないか」。
(5月10日付夕刊「窓」)
   体を動かし外に出よう。集会をのぞこう。現場で学ぶのがジャーナリストだ。(「ジャーナリスト」」5月号より転載)


     ◎イラク派遣違憲判決
   "無視"ですむのか


 イラク派遣は特措法にも反し違憲」とした名古屋高裁の判決が示された。
 主文では原告の請求を棄却しながら「武装兵員を戦闘地域のバグダッドへ空輸するのは他国の武力行使と一体化した行動で、自らも武力行使を行ったとの評価を受けざるを得ない」とし、「平和的生存権は単に憲法の基本的精神や理念を表明したにとどまらず憲法上の法的な権利」とする。まさに「画期的な判決」だ。
 一方で判決は、自衛隊の存在や海外派遣については「自衛のため、最小限の武力行使は許される」「武力行使目的の海外派兵は許されないが、そうではない海外派遣は許される」と政府解釈を引く形で判断、国を勝たせた。退官を決めた裁判長の「司法の知恵」…。  だが、そうなるとやはり問題は政治だ。何らかの政策変更があっても当然だが、福田首相は「国の判断は正しいという結論だ。特別どうこうする考えはない」とうそぶき、町村官房長官は「こういう論議を認めるものではない」と言い切った。日本は「立憲主義」の国ではなかったのか。司法の判断をこうも簡単に片づけるのか?。
 4月8日付読売の世論調査では、憲法改正反対派が15年ぶりに改正派を上回った。読売社説は「改正論を冷やす政治の混迷」などと改憲に固執。この判決にも「事実誤認や法解釈の誤りがある」と決めつけたが、これこそ時代遅れだ。
 時代は九条に向かって動く…。五月の「九条世界会議」では「メディアと九条」のシンポジウムも開く。改めて世界と歴史の中で、いまを見詰める「目」と行動を!


◎ターゲットは民主党


 日銀総裁とか道路特定財源とかよく分からない議論が続いている陰で、危険な動きが始まっている。
 3月4日には、昨年衣替えした新憲法制定議員同盟が総会。中曽根会長の下、副会長には町村官房長官以下4閣僚と前原前民主党代表らが加わり、顧問に鳩山民主党幹事長、綿貫国民新党代表も入った。まさに「自・民同舟」(毎日)、「与野党改憲派がタック」(朝日)。昨年から取り組んだ国会議員の「憲法審査会の早期始動を求める決議」では、自民党282人、公明党35人、民主党26人、無所属など10人の計353人が署名した。この総会への民主党議員の参加者は15人だったそうだ。
 朝日、毎日が囲みで報道しただけだったが、読売は社説で取り上げた。そこでは「鳩山幹事長は、民主党幹部の議員同盟役職就任を機に『通常国会中に憲法審査会の立ち上げが動きだす可能性がある』と言う」と指摘し、「当面、急ぐべきは、衆参の憲法審査会の始動」と主張。民主党内の「慎重論」を牽制し、「次期衆院選に向けて野党共闘を維持するために『護憲』を掲げる社民党や共産党への配慮もうかがえる。だが、政略的思惑で憲法論議をゆがめたり停滞させたりすべきではあるまい」と述べ、「鳩山幹事長らに期待する」と締めくくった。
 「民主党はご存じのように寄り合い所帯で、もともと一筋縄ではない。でもいま、『平和』を語る議員がどんどん減って、だんだんものが言いづらくなっている。心配だ」―。ある民主党議員が述懐している。「ターゲットは民主党」なのである。

◎法の支配にも「そこのけそこのけ」
  「軍法」「軍事裁判」の先取りを許すな


     
 「やっぱり出てきた!」というのが実感だ。
 産経新聞28日付朝刊は1面トップで、「航海長聴取 問題か」と題する記事を掲載し、防衛省が海上保安庁の捜査前に「あたご」の航海長を省内に呼んで聴取したことについて論じた。
 記事では、「軍事組織が、早い段階で状況把握することは鉄則」とし、これが問題になったことについて、『航海長への聴取が問題となることは、日本が『普通の国』でないことに起因する。実はこちらの方が格段に深刻だ」と述べ、「軍隊における捜査・裁判権の独立は国際的な常識」「司法警察が事実上の国軍を取り調べる、国際的にはほぼ考えられない構図を、国民も政治家も奇異に思っていない」「軍事法廷のない自衛隊は、世界有数の装備を有する『警察』の道を歩み続けるのだろうか…」と主張した。

 自衛隊と漁船の衝突、2時間も3時間も報告を放置するといった独善的な対応、それに対して、「迅速だった」と評された海上保安庁の捜査活動…。既に一般には、海保が自衛艦の捜索に入ったことを驚きを持って迎えた向きもあっただろう。
 しかし、犯罪や重過失の事故があったとき、自衛隊が海保や警察の捜査を受けるのは、当然のことであり、「専守防衛」の組織である以上、自衛隊は、産経が書くとおり、「世界有数の装備」を有していても、「歩み続ける」のは「『警察』の道」でしかありえない。
 かろうじて保たれている「法の支配」のもとでの自衛隊が「そこのけそこのけ」の行動を取ることを許されてはならない。

 自民党の「新憲法草案」では、第76条3項で、「軍事に関する裁判を行うため、法律の定めるところにより、下級裁判所として、軍事裁判所を設置する」とし、「自衛軍」に関わる問題を「軍事裁判所」で扱うことを想定している。「自衛軍」が名実ともに「軍隊」であるためには、昔と同じように、軍隊内については「シャバ」とは違って、一般の法律の手が届かない場所でなければならない。そのためには、「軍法」が作られ「軍事裁判」が行われるようにしなければ、論理は貫徹しないのである。
 産経の記事では、医療事故でも病院が事情を聞くし、新聞記者が交通事故を起こせば社の幹部が事情を聞く、などと、組織の対応の問題にすり替えているが、今回の航海長の防衛省呼び戻しは、既に組織内の問題ではなく、警察権が行使されている中での話なのだ。

 既に、自衛隊法には、一般の法律が介入しない問題がいくつかある。今回のような事故についても、自衛隊は第一次警察権を持ちたいと考えるだろうが、それは自衛隊の性格を大きく変えることになる。以前から「改憲」を掲げている産経が、こうした論調の記事を掲げるのは、当然かもしれない。しかし、こうした記事が「呼び水」になって、自衛隊が「そこのけそこのけ」路線を、法制度にまで進めていくことを許すわけにはいかない。
 海上自衛隊と海上保安庁の間には、以前から縄張り争いにも似た軋轢がある。そこに目をやる議論も出てきかねない。しかし、そうしたことに惑わされるわけにはいかない。

 問題の本質はどこにあるのか。「あたご」は7750トン、全長165メ ートル、「清徳丸」は、7.3トン全長12メートル。「道路で言えば子どもの三輪車を大型トレーラーが押しつぶしたようなもの」とでもいえばいいだろうか。最新型の戦闘艦船が、海の男たちの神聖で平穏な職場に、自動操縦で突き進み、船をまっぷたつにし、その命も身体も奪い去った。
 もう一度考えてみよう。約1500億円といわれるイージス艦は本当に必要な装備なのか? ミサイル防衛のために、ということになっているが、一体どこからどんなミサイルが飛んできて、どう撃ち落とすというのだろうか。
 これを税金の無駄遣いといわずして、何を無駄遣いというのだろうか。
*『NPJ通信:http://www.news-pj.net/npj/maruyama/index.html』
より転載


◎首都ミサイル防衛


 深夜の新宿御苑で行われた「ミサイル防衛」のPAC3の展開…。テレビニュースは迷彩服の隊員のものものしい動きが紹介された後で、お決まりの「住民の声」が続いた。「近くには学校も病院もありますし、困りますねえ…」「まあ、国を護るためなら仕方ないんじゃないですか…?」  防衛庁が何年も前から整備しているパトリアット・ミサイルの迎撃システムで、首都東京を狙って飛んでくるミサイルを事前に撃ち落とすのだそうだ。何でも2010年までに、全国11基地に発射機約30基を配備する予定だそうで、テレビゲームの世界ではなく大まじめな構想だ。
 だが、ちょっと待ってほしい。大体、そんなミサイルが、本当に東京を狙って、どこからか飛んでくると思っているのかどうか?。
 「そんなことはわからない。ただ北朝鮮は何をするかわからないし、中国も危険だ。テロ集団もある。事実、ニューヨークは飛行機でやられたではないか」というのが、推進派の言い分だろう。だが、違うと思う。そんなことをすれば、「同盟国・米国」の報復でたちどころに自らの首都が壊滅させられ、国家崩壊に至ることぐらい想像できない指導者はいないだろう。
 それとも、そんなハリネズミのような仕組みを作って、「敵壊滅」のために「攻撃」をさせようとするのだろうか? ミサイル防衛の予算は、07年度で1826億円、補正を含めた06年度が1541億円という。
 アジアの信頼はこれで頼めるのか? メディアの伝え方はこれで良いのか? 考えるときではないか。
(『視角・http://www.jcj.gr.jp/view.html#20080118』より転載)


◎反撃が始まっている


 「安倍政権の崩壊は憲法を護ろうという運動の結果だった。福田政権になって、動きは慎重になり、状況判断はより現実的になっている。これは遙かに手強い。また、解釈改憲で憲法がないのと同じ状況にする動きもある。これを打ち破らなければいけない」―「九条の会全国交流集会」での加藤周一さんの話だ。2007年を送るに当たって、改めて考えたいのはこのことだ。
 確かに07年はひどい年だった。昨年冬、教育基本法が壊され、1月には防衛省が発足。変な大臣も続出したが、国会は強行採決の連続で国民投票法もテロ特措法の延長も決め、改憲ムードを高めた。だが、参院選で風向きが変わった。「私の政権で憲法改正」「戦後レジームから脱却、美しい国を造る」と豪語した安倍首相は、結局行き詰まり、自滅して政権を投げ出した。
 後継・福田政権の政治姿勢は一見ソフト。だが「国連決議があれば、どこに自衛隊を出しても違憲ではない」という論理の民主党・小沢代表の方が危険で、ナベツネ氏の介入で注目された「大連立構想」は、いまも決して消えていない。
 ただ確認しておきたいことは、いまわれわれは優位に立っている、ということだ。国民は改憲が戦争への道につながることを知ってきている。肝炎、原爆などさまざまな被害者たち、残留孤児や障碍者の訴えは高まり、医療費や年金で不安な老人から貧しい若者に至るまで、生活をかけた闘いが広がって、政府もそれを無視できない。
 07年は憲法を生かす民衆の反撃が新しく始まった年でもあった。
(『視角・http://www.jcj.gr.jp/view.html#20071215』より転載)


◎安部辞任


 安倍首相の退陣理由がさまざまに取りざたされている。だが要するに、国内の現実を見ず「改憲・米追従」で突っ走った末の「行き詰まり辞職」だ。メディアはまたもや「総裁選キャンペーン」に踊らされている。しかしいま、メディアに求められているのは、「日本の在り方」についての展望を示すことではないだろうか。
 端的に書こう。例えば、最も問題なテロ特措法だ。「延長」も「新法」も難しいから、ごく普通に考えれば、自衛隊はインド洋から引き揚げることになる。「米国の期待に背いて大丈夫か」と心配をする人もあるだろう。そこで必要なのは特措法期限切れを機に、新しい日本外交の構築を図ることだし、そこに確信を持ち、その考え方を世界に示すことだ。
 日本には平和憲法がある。だから戦争はしない。「国際貢献」も非武装が基本。取り敢えず、PKO以外、自衛隊は海外に出ない。米国とも中国とも友好関係は大切にするが是々非々で対応し、むしろロシア、韓国、北朝鮮を含めた「北東アジアの非核・非戦条約」を目指す。
 経済面でも外国と互しての競争を煽るのではなく、「格差」を是正し、社会保障を充実させる。貧しくともいたわりあえる「落ち着いた社会」を目指す…。そんな「新しい日本」の展望を描くことだ。
 民主党の小沢代表は「政局に巻き込まれず、淡々と政策で進もう」と話したという。その通りだ。政治で大切なのは「国民の安心」。「テロ特措法をやめても大丈夫。これは平和外交への第一歩」―その確信を広げることである。
(2007/09/17)

 
  
◎テロ特措法と日本外交

 「9・11テロ」を受けて、ブッシュ大統領は「これは戦争だ」と叫び、アフガニスタンを攻撃した。「敵か味方か」「ショウ・ザ・フラッグ」と言われ、小泉政権は特別措置法を作って自衛隊をインド洋に派遣、石油の供給を始めた。
 もともとテロは「戦争」ではなく「犯罪」だ。その犯罪の容疑者を隠している、と他国を攻撃し政権を崩壊させるなど、どう言い繕っても正当ではない。だが、小泉政権は「テロとの戦争」という米国の言い分を受け、「後方支援」つまり「兵站」に踏み切った。2年後のイラク戦争では「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」と言われ、陸上自衛隊派遣と航空機による輸送へと活動を拡大するイラク特措法を作った。
 時限立法は、期限を切ることで、その内容についてチェックし総括する機会を与える。だが、テロ特措法では、03年、05年、06年の3回、ろくに論議もせず延長を繰り返した。この11月、その期限がまた切れる。民主党は3回とも反対で、今回小沢代表もその姿勢を表明した。これまでの経過からも、憲法の精神からも、当たり前のことだろう。
 だが「特措法廃止は日米関係を悪化させる。日本は米国について行く以外生きられない」と言う意見がある。「アメリカ離れは不安」…。本当にそうか?
 「ガキ大将」の後を追うだけの日本でいいのか? いま求められるのは「自立した外交」を築くことだ。憲法が想定する「専制と隷従、圧迫と偏狭のない世界」「戦争の惨禍のない世界」に確信を持ち、それを進める決意を持とう。それが出発点だ。
(2007/08/10)

◎戦争を「つくる」のはメディアなのか?
   
マードックとイラク戦争

19日のロンドン共同電によると、ダウ・ジョーンズの買収を進めているルパード・マードック氏が、03年3月20日のイラク攻撃前、11日、13日、19日の3日間にわたり、ブレア英首相と協議していたことを、イギリス政府自身が認めた、という。
 AP通信などが報じたとのことで、英国議会のエイブベリー上院議員の情報開示請求に政府が答えたものだそうで、共同電は「会談の内容は明らかでないが、英国の参戦をめぐって同氏が『背後から影響力を行使していた』(同上院議員)との見方も出ている」と伝えている。
 この時期のことを思い出すと、湾岸地域には米軍の配置が進み、米国の意思はかなりはっきりしており、「いつ始まるのか」と世界中が固唾をのんで見つめていたときだった。だから、「影響力」と言っても、どの程度のことかは分からない。「アメリカが戦争を始めても参戦するな」と説得していた、というなら、もちろん評価に値するが、逆に、ブッシュ政権の「特使」として、ブレア首相に英国の参戦を促すため、何らかの橋渡しをしていた、というようなことでもあれば、実は重大な問題だ。
 実際、ブッシュ大統領が世界中にウソをついて情報のねつ造までしてイラク攻撃に固執し、フセイン政権を倒しイラクを破壊したのか、については、謎が残っている。
 「中東にも民主主義をうち立てるため」という「信仰」に大きな要因があるとしても、それだけでは納得できない。「石油埋蔵量世界最大の地の確保」、「石油ユーロ建て取引への危惧」、「サウジアラビアの軍事基地の代替地としてのイラク確保」などが上げられ、論じられているが、それでもまだよく分からない。そんなときに、英国首相と「メディア王」が親しく話し合いをしていた、というのはスキャンダル以外の何者でもない。
 そもそも、マードック氏とは何なのか? もちろん彼がジャーナリストであるとは誰も言わないが、彼の買収に遭遇して、「平均株価」で知られるダウ・ジョーンズが、「編集権」をテーマに議論せざるを得ないほど、ジャーナリズムは「危機」に襲われている。
 湾岸戦争が「CNNの戦争」といわれたのに対し、イラク戦争は「FOXテレビの戦争」といわれた。言うまでもなく、FOXグループはマードック傘下のニューズ社のメディア企業群だ。そして、英紙「タイムズ」(ロンドン・タイムズ)もこの傘下にあり、「1997年のブレア政権発足以来、政権支持の姿勢を打ち出し、イラク戦でも政府の方針を支持」(共同電)している。その総帥がマードック氏だ。
 
この手の話で有名なのは、新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストのことだ。
 1898年2月、ハバナで米国の戦艦メイン号で爆発があり沈没した。米国は直ちにスペインによるものだとして、宣戦布告、米西戦争が始まるが、このとき、「ニューヨーク・ジャーナル」を経営していたハーストは、キューバに派遣した画家、フレデリック・レミントンが、「ここに戦争はありません」といってきた電報に「その場にとどまってほしい。君は絵を送れ、私は戦争をつくる」と答えたという。(チャルマーズ・ジョンソン「アメリカの悲劇」文藝春秋)
 「この話はウソだ」という説もどこかで読んだ覚えがあるが、そんな話が信じられてしまうほど、報道は扇動的で、米国民の愛国心を鼓舞するものだった、ということだろう。
 もう一つ思い出すのは、1961年、ニューヨークタイムズが、ケネディ大統領の要請を受け、キューバ侵攻作戦に関するスクープ記事の掲載を見送った事件だ。
 このとき、ニューヨークタイムズは、事前に「キューバ侵攻」をキャッチした。しかし、ジェームス・レストン記者のアドバイスで、侵攻の切迫もCIAのことも、報道しない方が国益にかなうと判断し、編集幹部の猛反対を押し切って、その事実を書かなかった。
 その結果、侵攻は行われたが大失敗し、ケネディ大統領はのちに「あのときニューヨークタイムズが知っていたことをみんな活字にしていたら侵攻は中止されていただろう」と語った、という。(原寿雄「ジャーナリズムの思想」岩波新書)
 
 「戦争になると新聞が売れる」のは本当である。新聞は宅配が90%を超える日本でも、湾岸戦争時やイラク戦争時には、駅の立ち売りでスポーツ新聞がよく売れた。
 タイムズが売れるために、マードックはブレアに参戦させた…? そんな風には思いたくないが、イラク戦争でニューズ社が稼いだカネは、戦争がなかったらどうだったのか、そんな試算を誰かしていないか、と思ってしまう。
 「戦争の最初の犠牲者は真実である」ということばの背景が、ここにもある。
(2007年7月21日)


 ◎「けしからん罪」と「憲法で戦う」ということ

 
メディアの現場に「けしからん罪」という言葉がある。
 「いくら何とか還元水を使ったとしても、何百万円にはならんだろう。けしからんじゃないか」「コムスンは1カ所でも問題が出て処分されると、全体に波及しては困るから、その事業所はすぐ閉鎖する。これは違法じゃないけど、けしからんことだよ」というふうに使う。つまり、一見違法ではないが、やっぱり問題だ、という種類の問題についていうことだ。
 今回、共産党による告発で明らかになった自衛隊・情報保全隊の市民活動への監視は、まさにこの「けしからん罪」だ。
 法的に見ると、すぐ「○○法に違反している」とはいえないかもしれない。しかし、「集会、結社の自由、言論・表現の自由」をうたった憲法21条、「思想、信条の自由」をうたう憲法19条に違反する。「違反」と言って悪ければ、少なくともその考え方に真っ向から挑戦する行為だと思う。
 政府は、大臣が「当然の行為」と開き直り、次官「詳細は手の内を明かすことになるから言えない」とそれに従っている。少なくとも「誤解を受けて遺憾だ」とすら言っていない。
 では、専門家はどうか、というと、「確かに問題がある行動だ。だが、自衛隊法にも、これこれの活動をしてはならないとは書いていないから、決められた業務からの逸脱だが、グレーゾーンでしょうね」というのが、一般の法律家のごく普通の解釈だろうか。
 かくして、この種の行為は、いくら抗議をしても、のれんに腕押し、見解の相違。…要するに「やり過ぎ」「そんなものを流出させるからいけない」ということで終わってしまうのが、これまでの常である。それでいいのだろうか?
×           ×

 1966年秋、共同通信大津支局の記者だった私が、自衛隊適格者名簿の存在を報道したときもそうだった。16歳から25歳の自衛隊入隊の適齢者について自治体に名簿を作らせ、入隊の勧誘に使っていた。その事実が報道されると、国会で問題になり、民青、社青同などといった青年組織が「徴兵制復活につながる」と全国で抗議運動を展開した。
 しかし、それだけだった。37年後の2003年春、毎日新聞が同じ問題を「住民基本台帳から抜き出して提供を求めていた」として報道して問題になり、こちらは新聞協会賞を受けたが、自衛隊が適齢者名簿集めをやめた気配はない。
 少し醒めた目で見れば、結局、自衛隊は「情報活動制限法」でも出来ない限り、こうした活動を続けるだろうし、法律が出来たところで、いまの憲法無視、基本的人権などそっちのけの姿勢の中では、こっそり続けようとするだろう。軍事組織とはそういうものだ、という指摘もあろう。やっぱり、問題の所在は、自衛隊そのものにある。

 共産党が問題の資料を暴露した6日、私はいきなりテレビのインタビューを受け、かなり長時間話した。だが、番組の中で使われたのは、何秒くらいあっただろうか、「憲法21条の集会結社の自由に対する挑戦です」というほんの一言だけだった。この日はコムスン問題やらサミットやらのニュースが多く、全体の時間がそもそも短すぎた。実際に監視対象とされて名前が出てくる当事者の発言の紹介が優先されるのは当たり前で、そんな狭い枠に、とにかく一言突っ込んでくれた担当者には、感謝こそすれ、何の恨みもない。
 しかし、それを言い出すと、マンションから血を滴らせた荷物を3人組が運び出した、とかいうニュースは、庶民受けする絵になるニュースだとしても、いくらなんでも長すぎたのではなかったか。
 7日付の新聞の対応は、朝日、東京が1面から問題を展開した積極的な報道をしていたのに対し、読売、日経は第2社会面の2〜3段、産経は総合面の2段で扱っただけだった。なぜ、こんなことになるのか。「共産党の発表だ」という偏見や、政府の主張に沿って「当たり前だ」と考える考え方の問題もあるだろうが、むしろこれは、現場の「問題意識」ないし「ニュースバリューの判断」の差ではなかったか。要するに、この問題を「けしからん」と思うか、思わないか、という「憲法感覚」の問題である。
×           ×
 調布市で映画「日本の青空」の上映について、5月中旬、市と市教委に後援を求めたら、拒否された。理由は「製作者のあいさつ文に『改憲反対の世論を獲得する』とあった。政治的に中立とはいえない」というものだった。憲法99条は公務員の憲法擁護義務を決めており、それがベースで自治体も成り立っている。それなのに、「改憲反対は政治的だ」という論理を認めていいのだろうか。
 同じようなことは、他の町でも起きている。川崎市は、この4月、これまで23回にわたって毎年後援してきた市民主催の平和集会に対して、ことしは後援を拒否した。護憲を訴えているというのが理由で、昨年のアピールに「教育基本法改悪反対」憲法改悪反対』があったからだそうだ。
 憲法を変える、というのはいまの態勢を変えようというのだから、政治的かもしれない。しかし、憲法を護り、その精神を進める、というのは「政治的中立を侵す」ことでは絶対ない。ここは、少なくとも「法」に携わるものだったら、譲るわけにはいかない、というのがものの道理というものではないか。
 時代がファシズムの方向へ進むとき、小さいかもしれないが、「けしからんこと」、「見逃してはいけないこと」が積み重なって、「既成事実」となり、世の中が大きく変わってしまうことは歴史が証明していることだ。
 
 「憲法改悪反対」「改憲反対」を「政治的」としてレッテルを貼り、その言葉を使えないようにしてしまう。一方で、かつては右翼の言葉だった「自主憲法制定」「自虐史観」などという言葉が平然と持ち出され、誰も問題にしなくなってしまう。「日独伊3国同盟」まで行かなくても、かつて「同盟関係」という言葉をめぐって外務大臣が辞任したがあることさえ忘れ、「日米同盟」を「かけがえのない同盟」などと表現して恥じない政治家、これを容認するメディア。そして、それがまるで当たり前のことであるかのように動く世論…。こんなことを許してはならないのではないか。
×           ×
 考えてみたいことがある。自衛隊の監視で名前を挙げられた個人、団体は、明らかに精神的に損害を受けている。これをはっきり認めさせ、謝らせるための訴訟は出来ないか。「後援」を拒否された理由についても同じだ。また、ここらで、自衛隊の「情報活動」を規制するための法律も考える時期に来ているのではないか。そうしたことを運動にしていく時期が来ているのではないか。
 「弁護士さんは勝ち目がない訴訟をしたがらない」という反論がすぐ出てくるだろう。「自衛隊の活動を規定することは自衛隊を合法化することになる」という反論や「『情報活動』という言葉自身が曖昧だ」という反論も出るだろう。しかし、「憲法を護る」、「憲法で戦う」ということはそういうことではないか、とも思う。

 当たり前のことを当たり前に見て、「けしからん」という憲法感覚。それを取り戻し、ひとつひとつ、じっくり闘わなければ行けない、と痛切に思う。それをどうやって、大きな力にしていって、日本をもっと明るい、自由な社会にしていくのか、考えなければいけない、と思う。
 そして、当然のことながら、その小さな動きをきちんと捉えることが出来るかどうかが、ジャーナリズムにとって最も必要なことだと思う。求められているのは「憲法感覚」であ利「憲法に根ざしたニュース感覚」だと思う。
 船の行く手にある小さな暗礁を見つけて警鐘を鳴らさなければ、社会の水先案内人の役割は果たせない。

*本稿は原稿は日民協の「法とメディアのあいだ」のために書いたものです。著者の許可を得て「転載」しました。
                           (2007/6/9)


◎覚悟を持って平和と生活、そして民主主義を守ろう

2007年、年の初めに考える

 2007年を迎えた。統一地方選、参院選の年であり、遡れば、日中戦争が本格化した廬講橋事件から70年、日本国憲法施行から60周年、そしてサンフランシスコ講和条約の発効から55年になる。

▼いま、日本と世界…
 2006年秋、安倍内閣を誕生させた日本は、「戦後教育」の理念を「個人」から「国家」へ全面転換させようとする教育基本法の改正を臨時国会で実現させ、「国のために自らを犠牲にすることができる国民」(安倍首相)つくりに乗り出し、一方で自衛隊の海外派遣を「本来任務」とする防衛省昇格関連法を成立させた。イラクでは航空自衛隊が、インド洋では海上自衛隊が、「国際貢献」の名で米軍の物資輸送や燃料の供給を続ける中、防衛庁は9日から防衛省になり、防衛庁長官は防衛大臣になる。
 「日米軍事一体化」を進める基地再編は、地元の反対を押して進められ、一方で北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のミサイル実験、核実験を契機にして、「日本も敵基地攻撃について検討すべきだ」「核保有についても議論すべきだ」という発言が閣僚から公然と語られ、首相は自ら「米国に向かうミサイルを撃ち落とす」とか「任期中に改憲する」とか口走っている。日本は、何のためにか、急激に「軍事化」が進んでいる。
 しかし、世界の潮流から見ると、どこかおかしい。日本の動きは後ろ向きだ。
 アメリカのイラク侵略は丸3年半を経て、一向に治安は回復されず、米兵の死者は3000人に近づき、盟友だったブレア英首相は退陣を予告した。さすがに米国内部でもブッシュ大統領の支持は下がるばかりで、中間選挙に敗北、ラムズフェルド国防長官をはじめネオコン・グループは一斉に退場を余儀なくされた。押し詰まってフセイン元大統領を処刑したが、自国の利益によってだけ動く米国の政策は至る所で破綻している。
 そして、1998年12月、ベネズエラのチャベス大統領が初当選して以来高まった中南米の変革の波は、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、ボリビア、チリ、ニカラグア、エクアドルと広がり、チャベス大統領は2006年12月、3選を果たした。「新自由主義」と「米州自由貿易協定反対」、「これ以上の民営化のストップ、福祉と国民生活優先」、「資源主権の回復と経済関係の多様化による自立」は共通したスローガンだ。
 かつての「プロレタリア革命」と同一視はできない。だが、20世紀が生み出した「貧困」と「暴力」に対する民衆の闘いが、ようやく形を作り出しつつある。

▼社会の崩壊を放置しておいていいのか
 昨年の日本で、大きな問題になったのは、秋田の2人の母親による子供殺しであり、連鎖反応のように広がった、小中学生の自殺だ。もともと、毎年3万人を超えている自殺者数は、人口10万人当たりにすると、どこも20人以下といわれてるのに、日本は25人を上回り、異常な高さになっている。
 至る所で「競争」が強制され、ゆとりと人間らしい触れ合いを失った社会…。そんな中で、追い詰められた人々の「自殺」。それが若者から子供にまで広がっていることは、まさに社会の問題だ。
 昨年から今年に掛けてベストセラーとなった「下流社会」に見る通り、「格差」が至る所で問題になったが、その「格差容認社会」は、地域秩序の崩壊をもたらし、これまで見られなかった性質の犯罪をはじめ、多くの社会問題を生んだ。庶民への減税措置が次々削られただけでなく、障害者や生活保護家庭への援助は「自立」の名の下で削減され、「景気回復」の掛け声も空しく、生活はますます圧迫されている。
 既に「日本社会の格差」は、経済協力開発機構(OECD)の報告(2006年7月)でも、18歳−65歳の「生産年齢人口」で、これは、可処分所得が全体の中央置(真ん中)の半分に満たない家計の割合を示す「相対的貧困層比率」は、1990年には11.9%だったのに、2000年段階ではアメリカの13.7%に次いで2位の13.5%となり、先進国中、米国に次いで2位、他のOECD諸国から突出し、「格差が固定化している傾向が見られ、包括的な対策が必要だ」と指摘されている。
労働組合の組織率は18.2%という中で、働いても生活できない「ワーキングプア」が若者の間まで広がっている。そこに追い打ちを掛け、超過勤務を野放しにする「ホワイトカラー・エグゼンプション」の提案が出されている。
 市民法の基本を崩す「共謀罪」同様、労働法の基本を突き崩す、「戦後政治」どころか、「社会発展の歴史」の「総決算」が進められている。そしてしかも、これが労使と学識経験者まで入った「労働政策審議会」で報告されることに事態の深刻さがある。

▼メディアそのものを見詰めてみよう
 われわれが世界のこと、政治のこと、社会のことを知り、考え、議論するベースは、マスメディアによる報道である。一般に、そこに報じられている事象は、大きな間違いはないと信じられ、事実間違っていることはそんなに多くはない。しかし問題は、メディアが何を取り上げ、それによって国民の関心をどういう方向に導いているか、である。
 例えば、一昨年の「郵政選挙」で、テレビは確かにどこの選挙区でも、秒単位で候補者を公平に取り上げた。しかし、その選挙区の選択は、「郵政民営化」についての「造反議員」と「刺客」の闘いによって選ばれ、そこに集約された。2006年秋、教育基本法改正で、衆院が強行採決すると、新聞はこれを揃って批判した。だが、沖縄知事選で野党の敗北であっさり国会が正常化されると、反対運動の高まりを報じることなく、「教基法改正成立の見通し」と一斉に報じ、「結局そんなものかな…」というムードの後押しをした。
 「マスメディアは国家統治機構そのもの」という断定をしなくても、こうした事実をはっきり見詰めることなくして、メディア・リテラシーは成り立たない。
 改憲手続きを決める国民投票法案をめぐる自民、公明、民主の協議が大詰めを伝えられている。「憲法改正」が提起されたあと、一定の期間、条件を限ってかもしれないが、「改憲反対」を語ることができなくすることが、当然のように話し合われている。「一般人は大丈夫」とか「期間を限っての話だ」とかいうことではない。言論を封殺して「投票」をさせようという投票で国民の合意はない。そしてもともと、何のための改憲か、なぜいま改憲が必要なのか、の議論を抜きにした改憲論に合理性はない。
 そんな動きにジャーナリズムは何を言うのか。流されていていいのだろうか。

 ▼覚悟を持って平和と生活、民主主義を
そこで注目したことがいくつかある。ひとつは、憲法を護る「九条の会」の広がりであり、もう一つは、自分の生活を見詰める中での若者の動きである。
 2004年6月、鶴見俊輔、梅原猛、加藤周一、三木睦子、大江健三郎、奥平康弘、井上ひさし、小田実、澤地久枝の9氏による呼び掛けで始まった「九条の会」は、全国でそのアピールに賛同する人々の会が続々と生まれ、2周年を迎えた昨年6月には、分かっているだけで、全国で5174団体に上っていると報告された。
 各地の「九条の会」では、それぞれ独自の形で縦割りで広がっていた運動が、地域や分野で新しいつながりを見つけ、それまで知らなかった活動家たちが互いに協力し合う形が生まれている。これはいままでの運動に見られなかった特徴で、団塊の世代が地域に帰る時期を迎えて、新しい展望を開くことが期待される。
 もう一つは、そうした活動の中に、まだまだ大きな流れにはなっていないにしても、若い世代の活動が見られるようになってきていることである。とくに、既成の労組に見放されたユニオン組織の若者や、インターネットを使った活動など新しい色合いを持った感覚の運動が広がりを見せている。彼らが労働と生活の現状から、現代を見詰め発言し始めるとき、「日本のいま」を変える大きな可能性を持っていると言えるのではないだろうか。
 例えば、連合も全労連も一致して反対できるホワイトカラー・エグゼンプションについて、「07春闘」で大きな盛り上がりをつくることができれば、統一地方選や参院選に大きな激励となることは間違いないだろう。
 「選挙の年」といっても、大幅な「死票」を生む小選挙区の選挙制度に大きな期待はかけられないかもしれない。だが、投票行動を通じて、まやかしの宣伝に惑わされず、本当に譲れない一線をきちんと意思表示できるかどうかは、非常に重要なことである。
 「戦争は嫌だ」には理由はいらない、という。「死ぬのも、殺すのも嫌だ。だから、戦争は嫌だ」とみんなが表明することで、日本が「戦争国家」に転落していくことを防がなければならない。「ただ働きも過労死も嫌だ」と言い続けることで、労働の原則を破壊する法改正を阻止し、「私はひとりでも発言し続ける」と語り続けることで、言論・表現の自由を護らなければならない。
 2007年、国民が本気になって、覚悟をして、平和と自分たちの生活を、そして民主主義を守らなければならない年ではないだろうか。
       (丸山重威・関東学院大学、日本ジャーナリスト会議)


 ◎ミサイル問題と「『敵』基地攻撃容認論」

 「国民を守るために必要なら、独立国家として限定的な攻撃能力を持つことは当然だ」(額賀福志郎防衛庁長官)「核を搭載したミサイルが日本に向けられるなら、被害を受けるまで何もしないわけにはいかない」(麻生太郎外相)など、北朝鮮のミサイル発射を契機に物騒な発言が続いている。
要するに、「やられる前にやるのは自衛の範囲。戦争を日本から始めることも視野に置いておく」という論理だが、こともなげに議論が出てくるのが恐ろしい。

 10日朝、フジテレビ「特ダネ」から、いきなり見解を求められた。「憲法との関係を話してくれ」という。もちろん私は憲法の専門家ではない。「いいんですか?」と言ってみたが、「先生は憲法や有事法制にも詳しいと思うので…。もう放送中ですから、8チャンネルをつけてください。CMの後ですからお願いします」という。覚悟を決めて話した。
 −こういう発言が出ているんですが、どう思われますか?
 「私は大変危険な発言だと思います。そんな事態にならないようにすることが政府の仕事だと思うんです。どうしてこんな状況になったか、ということについては政府に大きな責任があるはずです。日本国憲法は戦争放棄を決め、交戦権は認めない、と決めています。自衛隊ができましたが、それからの歴史の中で生まれてきた考え方が専守防衛だったわけで、先制攻撃などもってのほかだ、ということです。そういう考え方を大きく変更するのは大問題です」
−しかし、その議論は有事関連法ができたときに議論されたはずです。この法律を根拠に考えればいいではないかという議論は成り立たないんでしょうか?
 「確かに、そういう解釈ができるという方もあります。しかし、憲法を考えてみると、もう再び戦争をしない、そういう国際関係を作っていくんだという決意をして、憲法を決めたのです。その精神ははっきりしているはずです。だから、政府の当局者が攻められたらどうするかという話ばかりして、攻められないようにどうするか、を考えない。それはだから、それに沿って判断しなければいけない。北朝鮮であろうとほかのどこの国に対しても、『そんなことをしないでよ』といえる関係を作らなければいけないんです。
第一、ミサイルが10分で飛んでくるとして、これを落とせたら、相手は5分で来るものを開発するでしょう。盾と矛を売る人がいてどっちが強いかと言われて、答えられなくなり、矛盾という言葉ができたように、そういう対応ではどこまで行っても問題は解決しないと思います」
 ざっと、そんなやりとりだった。
  
 私の発言を受けてコメンテーターたちもうなずき、ピーコさんは「中国と韓国との関係をきちんとやってくれば、北朝鮮との関係もうまく行っていたたかもしれない」と発言、諸星裕氏は「最終的に外交的に解決しなければならないんだから、最初から外交できちんとやってほしい」と発言した。
他局に先駆けてこの問題を取り上げたフジテレビは、積極的だった。驚かされたテレビインタビューの結果、その後の議論のたたき台をつくることに、図らずも加わることができたわけだが、「敵基地攻撃問題」は、日本の生き方にとって、根源的とも言える重要な問題である。
(了)


  ◎民主党はきちんと事後調査せよ

 まともに政治取材をしたことがあるジャーナリストなら、「怪文書」に出くわしたことがない人はあまりいないだろう。出所不明、筆者不明、いかにも本当らしいし、本当のことが含まれている、誰か特定の人が攻撃される、もし本当だったら大ニュースの可能性がある…。

 そんな情報があるとき、まず記者は「ウラ取り」に歩く。まず情報源と思われるところに当たり、関係者や問題の周辺から取材する。本人にジカ当たりするのは一定の取材をしてからだ。「火のないところに煙は立たない」ということわざもある通り、怪文書の内容はウソだが、その過程で違う特ダネが書けることもある。怪文書をバカにしてはいけない。

 国会を空転させ、民主党を大きく傷つけた「ニセ堀江メール」問題は、どうやら永田議員に情報をもたらした「フリー記者」に問題がありそうだが、真相はわからない。彼がなにをしたのか、「カネ」が動いていたのかどうか、単なる愉快犯なのか、もっと大きな陰謀か?

 とにかくひどいのは情報の扱い方の基本ができていないことだが、よく考えてみると「若い議員だから」ということではない。国会も社会も、かなりいい加減なムードで動いているせいではないか。
 イラクの大量破壊兵器問題はインチキ情報に踊らされたことがわかっているし「9・11」もさまざまな疑問が出されている。民主党を言いなりにさせるための「陰謀」が背景にあったとしたら、事態は全く深刻だ。

 大事なのは、そうした疑問や、なぜ間違ったのか、なぜだまされたのかについて、きちんと第三者を入れて調査するクセだ。イラク戦争も、偽メールもなぜ間違ったか、明らかにされなければならない。

 「ムード」を排し「道理」に基づくジャーナリズムを
−2006年、社会と政治を考える
 
    
  戦後60年の日本は、社会全体が大きく揺れ、これまでの価値観や信頼が大きく崩れてしまったことを実感させられた年ではなかっただろうか。
 2006年、新しい年を迎えて、改めて「社会」と「政治」を見つめ直し、ジャーナリズムの責任を考えなければならないと思う。

▽犯罪と事故の周辺
 2004年末、奈良で起きた帰宅途中の幼女の誘拐と殺害は衝撃的だったが、2005年も11月に広島で小学校1年の女児が殺されて段ボール箱に入れられて見つかり、近所のペルー人男性が逮捕された。続いて栃木県今市市でも小1の女児が下校途中に行方不明になり茨城県で見つかった。「通学路の安全」がこれだけ問題になったのは初めてだ。
「被害者」としての子供は、大人が守るしかない。しかし、少年が「加害者」になった犯罪もかなり異常だ。6月、東京・板橋の高校1年生の少年は、両親を殺害し、室内をガス爆発させた。10月、静岡・伊豆の高校1年の女子生徒は、母に毒物を飲ませたのではないか、と取調中だ。11月、東京・町田の高1の少年は「冷たくされた」と信じ、同級生だった少女を刺殺。12月には、京都府・宇治の進学塾で、講師の大学生が6年生の少女を刺殺した。なぜ少年たちがこうも惑うのか。
 4月に福知山線・尼崎、12月に羽越線・庄内町とJRで相次いだ事故は、築き上げられてきた技術が、社会の「暴走」についていけなくなったことを示しているようだ。
 尼崎事故では、「民営化」後の企業競争の中でダイヤがますます過密になり、運転士は「遅れ」による処分に戦々恐々となっていたことが明らかになった。12月の庄内の事故では、自然の猛威に対応する対策が講じられず、86年の余部鉄橋の事故や、78年の営団・東西線の荒川鉄橋事故の教訓が生かされていたかどうかが問題だった。3月の東武鉄道・伊勢崎線の「開かずの踏切」の事故からも、過密ダイヤに設備が追いつかず、それを人間の「カン」でこなしている実態がうかがえた。車両の軽量化、スピードとダイヤ編成、そうしたものが、事故を誘発し、大きくしているのではないだろうか。
 11月に明らかになった一級建築士による耐震データ偽造事件は、建築確認という基本的な管理業務を民間委託にした結果、企業競争を激化させ、エリートのはずの一級建築士まで「弱い自分がいた」と言わざるを得ない状況を生んだことを明らかにした。「安さ」を求めるカネと競争が、圧力となって、専門家の誇りまで奪ってしまっている。

▽「格差社会」を放置していいのか
戦後の日本。「戦争をしないこと」を誓った国が、理想として考えたのは、「ゆりかごから墓場まで」という欧米の社会保障制度を基礎にした「福祉国家論」だったが、80年代、サッチャー、レーガン流の「中曽根・新自由主義路線」が冷や水を浴びせた。「小さな国家」「民間活力の活用」「効率化」「競争原理の導入」がスローガン。国鉄、電電などの民営化を進め、「自立自助」「受益者負担」を色濃く、福祉切り捨てが進められた。
 以来20年、受け告げられたこの路線は、いま「小泉改革」となって現在に至っている。「軍事・金融・情報では覇権を譲らない」とする米国からの圧力も、ますます強くなって日本を覆っている。小泉首相は、「民でできることは民に」「改革なければ景気回復なし」「改革に終わりはない」などと、短い言葉を飛ばしながら、社会保険料を次々と引き上げ、大増税の予算編成を計画している。
 しかし、考えてみよう。本当にこれでいいのか。
 事件、事故に表われてきた社会の歪みは、規律や節度を失ったこの放縦な政治と密接に関わっているのではないか。みんな競争社会の中で、他人のことを思いやる優しさも、いたわりを持つ余裕もなくしてしまい、その行き着く先が、少年の犯罪であり、心を病んだり、弱かったりした人々の「犯罪」ではなかったか。
 ベストセラーの「下流社会」(三浦展著・光文社新書)は、みんなが「中流」と思った時代の余裕が失われ、いま、日本社会の「格差」が拡大し、新たな貧困が生まれていることを指摘した。「競争原理」や、「新自由主義改革」を当然とし、「自由」の名の下に、格差も「弱肉強食」も「仕方がない」と考えさせられてしまう社会の風潮…。間違いなく政治が生んだこの状況をそのままにして、日本は良い国になるのだろうか。

 ▽「改憲ムード」をはねのけよう
 自民党は11月の創立50周年記念党大会で、日本国憲法の平和主義を骨抜きにする「新憲法草案」を決定した。なぜ、いま憲法を変えなければならないのか。
 「自衛隊を憲法違反のままにして置いていいのか」「平和主義は変えず、新しい権利を書き込もう」−。それが改憲派の論理だ。しかし、その自衛隊は、特措法さえ作れば、イラクにも行くことができた。そこで「戦闘をしない」ままでいられるのは、憲法9条第2項の「交戦権の否認」があるからだ。それなのに、この条項を削除して「交戦」できるようにしようというのはなぜか。既に見え見え。それは「米軍とともに戦う」ためである。その証拠が、10月末にまとまった米軍再編成の日米協議。司令部の配置から訓練まで、米軍と自衛隊の一体化を一層進めることが合意され、自治体から一斉に反発が起きている。
 歴史問題とそれを具現化した靖国問題を契機に、中国や韓国との関係が悪化する中で、北朝鮮への悪感情をかき立て、中国についても「警戒」論を広げるキャンペーンが続いている。「敵」をつくって危機を煽るのが、改憲には手っ取り早いからだろう。
「改革を競争する」とした民主党は、集団的自衛権の容認や、シーレーン防衛を主張し、「大連立はない」と言いながら、「改憲には与党も野党もない」という。
 いま大きく大きく動き出しているのは、「何のための改憲か」も、「立憲主義の論理」も、「非武装・非戦の基本」もそっちのけで、「改憲は当然」とするムードづくりだ。
 
 2006年。ことし、メディアはいよいよ「自分の言葉」で語らなければならない。世論におもねるのではなく、私たちの国と働く庶民のためにジャーナリズムを取り戻し、「ムード」ではなく、あくまで「道理」に基づく「水先案内人」にならなければならない。
 年の初めに、それを改めて考えたい。


国民の知恵と意識を」

▼自民党の大勝、国民投票法案審議のための「憲法調査特別委員会」の設置、民主党代表に「9条改憲論」の前原誠司氏…。事態は急ピッチで進んでいる。
▼自民党はなぜ大勝したのか、国民は本当に郵政民営化を支持したのか、こんなやり口でも小泉支持が多いのはなぜか。…答えはさまざまある。だがそのカギが日本社会の閉塞感と「改革」という言葉にあることは間違いなさそうだ。確かに「改革を止めるな」は「日本をあきらめない」よりも、あるいは「確かな野党」や「国民見ずして改革なし」よりも直裁的で積極的。野党はそれで敗れたのだ。
▼カネと競争原理の新自由主義にどっぷり浸からされ「負け組になるな」と追い立てられる国民は、余裕がなくなり「働けど働けど…」とじっと手を見る。いやそれさえできず、考える余裕も、選ぶ相手もないままに、自民党に入れた。そこには、憲法も、アジアの人々も、自分が戦場に行かされる危険さえ思い及ばなかったのではなかったか。
▼今回の選挙で自民党は、企業広報論で米国で学位を取った参院議員をキャップに「コミュニケーション戦略チーム」を設立、政策や候補者選び、宣伝・遊説・テレビ出演などの対応を一本化した。約15人の担当スタッフが毎日午前10時に集まって前日のメディアや世論動向をPR会社とともに分析、主張内容やテレビでのアピールなどの対策を立てたという。湾岸戦争でホワイトハウスが実行した方式だ。彼らは国際世論を創り、十数年かけ、結局フセインを葬った。▼世論操作の歴史は古い。だがやっぱり大切なのは、国民がそれにごまかされない知恵と意識をどう身につけるかだ。そこに、ジャーナリストの課題もある。


 
◎「9条改憲反対」はニュース
  ではないのか

        −−「九条の会」有明集会もベタ扱い

 昨年6月、鶴見俊輔、大江健三郎、井上ひさし、奥平康弘、小田実、三木睦子など、に9本を代表する文化人9人が集まって、「九条の会」を結成、「改めて九条を持つ日本国憲法を自分のものに。改憲の企てを阻むためにあらゆる努力を」と訴えたアピールを発表して1年。これを記念した講演会が30日、東京・江東区の有明コロシアムで開かれた。集まったのは、東京周辺だけでなく全国から約9500人。外国のメディアも取材した集会だったが、東京の大手紙はよくてベタ記事。読売は一行も載っていない扱いだった。
 「運動はなかなか取り上げられない」といわれ、それがメディアでは当たり前になっている。しかし、本当にこれでいいのか。いったい、ニュースバリューとは何なのか。既成のメディアは大きな批判にさらされなければならない。
 有明集会の各紙の扱いを見ると、朝日が第二社会面で「『九条の会』講演に9500人 大江さん詩を披露」で36行、毎日がやはり二社面で一段半くらいのスペースの横書き、写真付きで「『九条の会』が設立一周年」。東京も二社面で「『九条の会』講演会」とベタ扱い。読売には1行もないようだった。

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